2007年9月28日金曜日

まひるの月を追いかけて


『まひるの月を追いかけて』恩田陸 

静には、異母兄妹の兄、研吾がいた。早春のある日、研吾の恋人で優佳利と名乗る女性から研吾が行方不明なので、奈良方面に一緒に探しに行こうと誘われる。

実は、優佳利は交通事故(自殺?)ですでに死んでいた。優佳利と名乗っていたのは妙子で、高校時代の同級生であった。妙子も昔から研吾が好きだった。静を旅に誘った目的は、研吾が本当に好きなのは誰かを探ることらしい。明日香村の亀石のところで二人は研吾を見つける。

研吾はしばらく同行するが、ライターの仕事で忙しいからと夜会う約束をして別れる。静と妙子は旅を続ける。妙子は夜ひとりホテルを抜け出す。約束の場に研吾と静は行ったが妙子が来ない。そのとき病院から通報があり、妙子が来院ののち急死したと告げられる。妙子には心臓の持病があった。

研吾は静に後は引き受けるから東京に帰れと促す。その前に研吾は、自分が好きな人に会ってほしいと言う。その人は橘寺で待っているはずだと。二人で橘寺に向かう。門前で待っていた女性は、静の母であった。研吾はすでに出家する決意を固めていた。


本を読んでいてはじめの方からどうも研吾は父の後妻、静の母を慕っているようだと感じていたが当たった。三年前の早春に、妻と明日香を旅したことがある。思い出が蘇った。岡寺の民宿、あすか鍋と土筆のおひたし、高松塚、橘寺、石舞台、岡寺、甘樫丘、懐かしい。明日香を思うたびにこれからはこの小説も思い出しそうである。

   鶯の声や煙雨の山の寺    
   岡寺に旅のやどりや春の膳
  

写真は、岡寺への辻、平成17年早春。

明日香の花の春

2007年9月26日水曜日

全手葉椎

妻の入院中に妻が仲良くしていた近所の主婦が逝った。一年半前に脳梗塞となり植物状態のままであった。よく二人で川縁を散歩していたという。その川縁をたどって森の公園に行った。法師蝉がしきりに鳴いていた。


  秋の蝉つくづく惜しと鳴きにけり


四百メートルの競走路の周りには全手葉椎(まてばしい)の遊歩道がある。妻は体力を戻したいと手を大きく振って歩き出した。私はその後についていく。保育園の子供たちが競走路にころがり落ちてきた椎の実を拾っている。そういうこともあろうかと、袋を持ってきていたので保母さんに袋を一つあげ、私たちも拾い始める。これは炒るとうまいのだ。


  競走路きそつてひろふ全手葉椎

2007年9月24日月曜日

夕影草

  やみあがる妹とうちみる橋詰の濃いむらさきのゆふのあさがほ

朝顔を夕影草とも言うらしい。退院から一週間、妻が外に歩きに行きたいと言った。夕方、病院への通い路で見かけていた橋のたもとの朝顔を見に行く。しぼみがちではあるが大輪の見事な花を咲かせていた。今度、こぼれた種を拾いに行こう。

2007年9月22日土曜日

風の墓碑銘

『風の墓碑銘』乃南アサ

相棒というテレビドラマはなかなか面白いが、直木賞受賞の『凍える牙』で初登場した女刑事音道貴子とベテラン刑事滝沢保の相棒も面白い。

男女と嬰児の白骨死体がある貸家の床下から発見された。その後、元大家で今は施設に出たり入ったりしている徘徊老人が殺害された。

相棒はぎくしゃくしながらも真相に一歩一歩と迫りついに一人の犯人を突き止める。ただ足でしらみつぶしに聞き込みをする訳ではなく、ひらめきや勘がこの世界でも大切なのだ。二人の勘やひらめきは他の追随を許さない。二つの事件はつながっていた。

お互いに苦手でいやな奴、できれば一緒に仕事をしたくないと思いつつも、相手のいいところを認め合っている。人間関係の処し方としても勉強になりそうだ。

川柳探求

『川柳探求』前田雀郎著 1958 有光書房

自分の区にはなく、余所の区の図書館から借りて読んだ。川柳と俳諧の部分から、

【谷中竜泉寺に慶紀逸の墓があると聞いて、明治38年、川柳中興の祖、阪井久良伎らが訪ねたら寺の僧は知らず、どうやら無縁仏となってしまったらしい。

紀逸は連句(俳諧)から単独で面白い付句を選んで『武玉川』を編んだ。これは好評を博し、前句付の点者であった柄井川柳はそれに触発されて、前句付から単独で面白い付句を選んだ。それを呉陵軒可有が編んで『柳多留』と題し出版した。

やがて前句が形骸化し、前句なしで独立した面白い句を詠むようになっていった。それは点者の名前をとって川柳と呼ばれるようになる。

これは俳諧の平句が独立したことを意味する。子規は俳諧の発句のみを文学とみなし、俳句として独立させたが、それよりずっと前に平句は川柳として独立していたのだ。

  俳諧 発句ー>俳句 季語を使った花鳥諷詠の詩
     平句ー>川柳 季語からフリーな人間諷詠の詩  】


慶紀逸の『武玉川』がなければ、『柳多留』はなく、<川柳>はなかったと雀郎は言っている。私も谷中散策の折りに竜泉寺に立ち寄ったことがあるが、寺の女に白い目で見られ、とりつく島の無い感じだったので尋ねるのはやめた(^^;)

俳諧(連句)のほとんどは平句(歌仙36句ー発句/脇/第三/挙句4句=32句)であり、平句=川柳とすれば、俳諧はほとんどが川柳からできている。俳諧は俳句を連ねるものではなく、発句の俳句に川柳を連ねるものと言える。俳諧はむしろ川柳なのだ。

しかしながら、俳句は花鳥諷詠に飽き、現代川柳に影響されて、人間諷詠(探求)も範疇にしていったようである。川柳と俳句の違いは季語/切れの有無くらいと言われる。無季俳句や切れのある川柳もあり違いはますます微妙になってきた。俳諧は俳句を連ねる、俳諧は川柳を連ねると言ったところで、今や実質的な違いはないのかも知れない。


 

2007年9月20日木曜日

新蕎麦

  まづ蝦夷の新蕎麦とどく入彼岸


茨城の製粉所から今年の新蕎麦が届いた。新蕎麦の札がいつも
ながらうれしい。この後は本命、茨城産の常陸秋蕎麦だ。

2007年9月19日水曜日

けふの月

  退院を勝ち取る妻やけふの月

2007年9月18日火曜日

歌仙『艶やかな』の巻

    歌仙『艶やかな』の巻

             2007.9.1〜2007.9.18


発句 艶やかな露店の茄子に手を伸ばす   青波   
脇    になへばさやぐ青萩の束      木槿
第三 み山辺はしづ山賤の園生にて      春蘭   
四    四季折々に鳥の詩あり       酔姚
五  待ち侘びし涼月軽く飛行雲       草栞
六    婚姻色のサケも遡上す       面白       

一  草もみぢ幼きひとと別れ来て      槿
二    つのる想いに枕濡らして     みかん
三  朝立ちの列車で向かう東京へ      波
四    AからBへ伝言ゲーム       酔
五  ケータイの「着信あり」に胸騒ぐ    栞
六    岸辺のアルバム悪夢ふたたび    白
七  さりとてもしず心なる冬満月      酔
八    海鼠のなさけたれかしるらん    蘭
九  通販のカタログ厚く持ち重り      み
十    棚にはばかるダッチオーブン    槿
十一 日暮時鬼女も舞うかに花の山      み
十二   春風にのり謡聞こえる       波

一  朝寝して蒸けたやうなり若隠居     蘭   
二    スローフードにスローライフで   酔
三  気もそぞろ小止みの雨に歩まれず    栞
四    プラグを抜くか琴光喜に土     白
五  火花散る手筒花火の勇壮さ       波
六    赤い金魚に黒が一匹        み
七  兵児帯も箪笥にいねて幾年か      槿
八    妻の下着を持ちて病棟       蘭
九  ようするに今でも夫を好きなのだ    酔  
十    なしのつぶての裏をはかりて    栞
十一 月光にかくすものなしわがこころ    蘭
十二   拝み太郎が謝っている       波
ナウ
一  父祖の血を騒がし秋の永田町      白
二    食い散らされし皿の行列      槿
三  山手線一周ウォーク完歩せり      み 
四    そして季節の歌はダカーポ     栞
五  わが脳は花を主とメイクされ      白
挙句   春の装い吉野山にも        酔

               (捌き 青波)

2007年9月13日木曜日

秋霖

 秋霖や外をみたいと妻がいふ

2007年9月8日土曜日

野分

 柿の葉も掻けば重たき野分かな

2007年9月6日木曜日

初あらし

 妻入院独り素飯よ初あらし

2007年9月1日土曜日

ひまはり





 ひまはりの畠もなどころ白日傘



写真は、山梨県北杜市明野のひまわり畑

岨菜



岨菜(そばな)と釣鐘人参は似ている。両方ともききょう科つりがねにんじん属。釣鐘形の花はよく似ているが花のつきかたがちょっと違う。先の山行で両方に出逢った。
写真上 釣鐘人参:霧ヶ峰池のくるみ湿原  写真下 岨菜:川俣渓谷、


  うちふるふ青き岨菜や瀧しぶき


ひととき、ネットで俳句や連句をご一緒したそばなさんは、お元気だろうか。