2007年10月30日火曜日

俤・匂い付け考(ひとりごと)

俤・匂い付け考(ひとりごと)

連歌・俳諧の付け方は色々な観点から分類される。異なる観点の分類間の関連は分かりにくい。

前句の何に対して付けるかという観点の分類で、貞門の物付け、談林の心付け(句意付け)、蕉門の余情付けは、大方受け入れられているのだろう。

余情付けは匂い付けとも呼ばれるむきがある。芭蕉は匂い付けを「付方の一名には如何ならん」と言って注意したが、弟子達は構わず使い続けたようだ。匂い付けは、移り、響き、匂いなどとその付けの結果の様態で細分類することもある。ますます初心にはわかりにくくなるばかりだ。

三冊子に、
「付きの事は千変万化するといへ共、せんずる所、唯、俤と思ひなし、景気、此三つに究まり侍る」「付くといふ筋は、匂・響・俤・移り・推量など、形のなきより起こる所なり。心通じざれば及びがたき所也」と芭蕉が言ったとある。

前段では俤を匂・響・俤・移りの代表もしくは広義に使っていると見られる。これは匂に広義と狭義があるのと同じで、広義の匂と広義の俤はほぼ同じことを予感させる。

後段では俤を余情付けのワンノブとして狭義、主に歴史的事件や人物について、その事や人を直接言わずにぼんやりと偲ぶように付ける付け方に使っている。

当時の蕉門の弟子たちにも混乱があったらしく、去来抄には杜年が「面影にて付くるはいかが」と質問をしている。去来はそれに答え「うつり・響・匂ひは付けやうのあんばい也。おもかげは付けやうの事也。むかしは多く其事を直に付けたり。それを俤にて付くる也。たとえば、」として以下で説明している。付けようの塩梅と付けようそのもの、苦しい答弁を聞いているようだ。

   草庵に暫く居てはうち破り  ばせを
    命嬉しき撰集の沙汰     去来


さて、芭蕉はわかりにくい連句の付け方を三つの分かりやすそうなものにせんじつめて分類してくれた。

●俤
これは広義でイコール、広義の匂(移り、響き、匂いの総称)と置き換えてよいと思われる。参考文献(2)で赤羽氏は「このように面影はにほひと区別つけ難い。」という結論に達している。また論拠ともなるべき記述が俳諧一葉集 遺語之部*に載っているらしい。それを引用したネット上の論文の断片をURLとともに添付に載せる。

●思ひなし
推量と同じことで、前句を十分に見定め、かつ前句をつきはなして新たな情景を前句から推量(思いなし)して付けることであろう。

●景気
景色、気色と同義で、去来抄に「付句は、気色はいかほどつづけんもよし。天象・地形・人事・草木・虫魚・鳥獣の遊べる、其形容みな気色なる」と芭蕉は言ったとある。なんと柔軟な考え方だろう。このことからも北枝の自他場論を芭蕉がよしとしたというのは嘘と信じたい。

蕉門は余情付けが専売特許としても余情付けばかりではなく物付け、心付けも使っていたことを忘れてはいけない。思ひなしや景気も前句の余情に付けるので余情付けの一種だとはまさか言うまい。

この俤(匂い)、思ひなし、景気の付け方の分類は、私にはわかりやすい。そして俤(匂い)付けは今までほとんどできていないことに気付かされ唖然とする。


参考文献
●三冊子、去来抄、日本古典文学大系、岩波書店
●芭蕉俳諧の精神、赤羽学、清水弘文堂
●連句入門ー芭蕉の俳諧に即して、東明雅、中公新書
●俳諧一葉集 遺語之部  古学庵佛写・幻窓湖中 文政10(1827)江戸青雲堂(未見)

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添付
蕉風俳諧の美学:匂い付け

    うすうすと色を見せたる村もみじ   芭蕉

に対して、どういう付けがよいのか。その場では、次の四句がでたが、どれも芭蕉によって却下された。

一 下手も上手も染屋してゐる
二 田を刈りあげて馬曳いてゆく
三 田を刈りあげてからす鳴くなり
四 よめりの沙汰もありて恥かし

最後に    御前がよいと松風の吹く   丈草

という付けが出たときに、はじめて芭蕉は印可したという。芭蕉の門弟達が、この附合を「匂ひ」付けと呼んだことは、俳諧芭蕉談のつぎの言葉に明らかです。 「御前がよいと云う松風は、うすうすと色を見せたる匂ひを受けて句となる。心も転じ、句も転じ、しまこその力をとどめず、これを「にほひ附」といふ。」

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