2007年11月21日水曜日
光の山脈
class:
本
樋口明雄『光の山脈』
ロッタ(六田賢司)は南アルプスの東麓、菰釣(こもつるし)村に住む一匹狼の狩人だ。ロッタの兄洋一郎は山梨の新聞記者で、地元の土建屋植村と韮崎の暴力団弓削組が、産廃を山奥に不法投棄していることを暴く。関係者が逮捕される。
それを恨んだ弓削たちは洋一郎を殺し、みごもっていたロッタの妻亜希を殺す。ロッタは復讐の鬼となり、狼犬シオと弓削組に立ち向かう。やくざたちを冬山に誘い込み、子分をみなやっつけるが弓削につかまってしまう。愛犬シオも力尽きる。
そのとき鳳凰の親方と呼ばれる仙道孫市が現れ、二人を引き離す。孫市は、ロッタと弓削の山の師匠であった。末期癌と診断された彼は山で死にたいと一人山籠りしていた。孫市に恫喝された弓削は逃げるが、物見岩で相討ちとなる。孫市は自分の凶悪な弟子を山から野に放ったと責任をとったのだ。
死んだと思っていたロッタの妻亜希は、兄の同僚沢村の機転で救出され一命をとりとめていた。亜希は沢村に頼みヘリコプターで現場にやってくる。故あって失語していた亜希は「ロッタさん」と声に出す。ロッタは夢かと歓喜し、二人は夕焼けに真っ赤に染まった(アーベント・グリューエンの)八ヶ岳を背にいつまでも抱き合っていた。
菰釣村は、北に白州町、南に武川村、東が長坂町と接しているとしているが、そういう村は実在しない。多分、著者が在住しているという白州町の尾白川から武川村の大武川、小武川あたりまでの地域を想定しているようだ。そのあたりは、八ヶ岳南麓の大泉町にある私の山小屋からも近くよく出かける。
物見岩から私もアーベント・グリューエンの八ヶ岳を見たいものだ。地蔵岳から下る新しくできた山道にあるというがどこだろう、御座石温泉へのルートかまたは架空か。仙道孫市の山小屋が近いという青木鉱泉は実在する。甘利山など前衛の山にも登ってみたい。
写真1 提供はフォト蔵さん
写真2 提供は克月海さんのフォトアルバムさん
写真3 提供は野辺山 ペンションさんかくじょうぎさん
2007年11月19日月曜日
青幻記
class:
本
一色次郎『青幻記』(土とふるさとの文学全集6)
懐旧と郷愁、稀に見る抒情性に溢れた小説である。第三回太宰治賞受賞と映画化は納得できる。薄倖で若くして亡くなった母は優しく色白の美しい人だった。「私」は遠い記憶をたどり、母が生まれて散った沖永良部島を尋ね母の面影を追う。恩田陸『ある映画の記憶』で引用している映画とは『青幻記』のことだ。
祈らんか築地の夕日翳るまで 空蝉
なごりのいのち燃やす手をどり 春蘭
母とゐた潮干は青き珊瑚礁
なぎの波間のあはれ草舟 春蘭
2008年1月30日にBS2で映画を観た。母のさわを演じた賀来敦子は本でのイメージにフィットしていた。
青幻記 遠い日の母は美しく(1973) - goo 映画
写真提供はフォト蔵さん
2007年11月18日日曜日
丸柚餅子
class:
俳句
庭の小さな柚子の木に、
小さな柚子が百十一個なった。
何個かとりそこなって、
へたがとれてしまったのもあるが、
全部を丸柚餅子にする。
小粒でも味は同じや丸柚餅子
柚子はへたの部分をカットし、中身をくりぬいて、
中に白玉粉(もち米の粉)、米粉、胡桃、白胡麻、
三温糖、白砂糖を混ぜた具を入れる。
具が真っ黒のものを好む人もいるようだが、うちは逆だ。
膨張するので6、7割程度詰めて空きを残す。
大鍋で二十個ずつ蒸す。
蒸し上がったら大きな笊に並べて冷ます。
しばらくしたら、和紙で一個ずつ包んで笊で干す。
日陰で寒晒しがいいのかも。
二三ヶ月もすれば食べごろになるだろう。
一人で昼前にはじめて、終わったのが午後三時。
昼飯を喰うのを忘れた。
2007年11月10日土曜日
俳諧の付けー要するに
class:
連歌論俳論
三冊子に「付きの事は千変万化するといへ共、せんずる所、唯、俤と思ひなし、景気、此三つに究まり侍る」と芭蕉が言ったとある。ここでの俤は、広義の匂いとほぼ同義で余情付けのことであろう。これらを、物付け、心付け、余情付けというポピュラーな分類とどう整合をとればよいのか。その思案の結果。
連句(俳諧)の付けとは、
前々句+前句の世界から離れて(転じて)、
前句に対してありそうな情景を詠み、前句と新たな世界を創ること。
1、景気を付ける。 【景気付け】(^^)
景気とは、人を含む自然の風物を対象とする心象風景。
「付句は、気色はいかほどつづけんもよし。天象・地形・
人事・草木・虫魚・鳥獣の遊べる、其形容みな気色なる」
(去来抄)
2、前句に即して、
a、前句の物や詞の縁によって付ける。 【物付け】
b、前句の意味内容・情に付ける。 【心付け】
(句意付け・意味付け)
3、前句をつきはなし離れて、
c、前句の余情(気分・雰囲気)に付ける。 【余情付け】
匂い、俤、位、響き、移り
(匂い付け・俤付け)
d、前句の場面の人や場所、状況などを言内、言外を問
わず、前句の作者の意図と違うように、あるいは勝
手に思いなし(推量・見込み)して付ける。【思ひなし】
ある句がこのうちのどれに該当するか分析するのは難しい。違いは微妙で分析する人によって結果も異なりそうだ。複数の分類に当てはまる句もあるだろう。
連句(俳諧)の付けとは、
前々句+前句の世界から離れて(転じて)、
前句に対してありそうな情景を詠み、前句と新たな世界を創ること。
1、景気を付ける。 【景気付け】(^^)
景気とは、人を含む自然の風物を対象とする心象風景。
「付句は、気色はいかほどつづけんもよし。天象・地形・
人事・草木・虫魚・鳥獣の遊べる、其形容みな気色なる」
(去来抄)
2、前句に即して、
a、前句の物や詞の縁によって付ける。 【物付け】
b、前句の意味内容・情に付ける。 【心付け】
(句意付け・意味付け)
3、前句をつきはなし離れて、
c、前句の余情(気分・雰囲気)に付ける。 【余情付け】
匂い、俤、位、響き、移り
(匂い付け・俤付け)
d、前句の場面の人や場所、状況などを言内、言外を問
わず、前句の作者の意図と違うように、あるいは勝
手に思いなし(推量・見込み)して付ける。【思ひなし】
ある句がこのうちのどれに該当するか分析するのは難しい。違いは微妙で分析する人によって結果も異なりそうだ。複数の分類に当てはまる句もあるだろう。
2007年11月7日水曜日
2007年11月4日日曜日
茅ヶ岳
class:
紀行
茅ヶ岳(かやがたけ) 11月2日(金)
4:00起床 5:00自宅スタート 7:15深田久弥公園 茅ヶ岳登山口 7:32登山開始 10:04茅ヶ岳山頂 11:06下山 13:05登山口
中央自動車道の韮崎インターを下りて右折、コンビニで食い物を調達し、饅頭峠をめざす。夜来の雨は止んだが道や紅葉の木々は濡れている。やがて、深田久弥公園の看板が目に入る。そこが茅ヶ岳の登山口だった。地図で見た饅頭峠への道は公園の奥の方にあるようだ。駐車場には車がすでに一台あった。あとから4人の老男女のパーティがやってきた。山に慣れている様子だ。
饅頭の峠いづこや濡れもみぢ
年寄りに負ける訳にはいかないと先にスタートする。延々とごろごろ石の坂道を登っていく。折り返しながら登る道ではなくまっすぐ上に登って行く。直道とでも言うのだろうか、意外につらい。やがて奇岩の断崖に行き当たる。女岩(めいわ)だ。懸け樋がしてあり細い清水がふた筋流れ落ちている。喉を潤し、目にもよさそうだと目を洗う。力が蘇った。
とくとくと女岩清水や谷紅葉
しかし、そこから急勾配の山肌を這うような登山モードとなる。落葉で道がよくわからない上に、登山道としてあまり整備されていないので難渋する。あとどこまでこのモードが続くのかわからない。長いこと視界が開けず同行の士もいやけがさし、私に先頭を譲った。こういうときは上や前を見ないで足下を見て一歩づつ進んで行くしかない。後ろから4人のパーティの楽しげな声が迫ってくる。
膝わらふ苔の磐根に敷く紅葉
辛抱して進んで行くと、視界が開けた。狭いコル(鞍部)に出た。左に進むと茅ヶ岳、右は敷島と立て札がある。しばし休むべく、右に進み、小さな坪庭に陣取る。加藤文太郎流の甘納豆と干し小魚はもちろんある。4人のパーティは先に茅ヶ岳ににぎやかに向かって行った。
急な狭い岩根を登って行く。しばらく行くと深田久弥氏の小さな碑が建っていた。氏は昭和46年の早春に茅ヶ岳をめざしてここまで来たときに倒れ旅立たれたとのこと。しゃがんで手を合わせたら不覚にも涙が溢れてきた。傍らの団栗を一つ拾い捧げた。
久弥逝くほそき岩根や七竃
どんぐりを一つ捧げん久弥の碑
あえぎつつ巌根を登り、ついに上には空しかないところに出た。茅ヶ岳の頂上だ。1704mと低山ながら侮れない山であった。南アルプスと八ヶ岳は霞んでいる。下界の山々は錦秋の中にあった。先に到着した4人のパーティからちょうどいいところに来た、写真を撮ってと言われた。そして女性二人のリュックを残し、隣の金ヶ岳に出かけて行った。おそるべし。我が軟弱チームは、ジェットボイルで湯
を沸かし、カップヌードルと珈琲をいただく。
これよりも上はなきなり茅の岳
百の頂に百の喜びあり 深田久弥
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