2008年12月31日水曜日

晦日蕎麦


 やゝ太く年越し蕎麦を打ちにけり

 常よりは念入りに打つ晦日蕎麦


写真提供は川越蕎麦の会さん たしか三本目の包丁はこちらで買ったのではなかったか。

木守り




 鵯を囲み柿とりもどす雀かな   (ひよ)

 さかさまに木守りつつく雀かな  (きまもり)


写真提供はフォト蔵さん

2008年12月30日火曜日

庭の湯




近すぎて行ったことがなかった豊島園の庭の湯にはじめて出掛ける。各種の風呂のうち、クリスタルブルーのバーデゾーンと屋外ジャクジー(混浴)、露天信楽焼風呂、古代ローマ風呂風ミストサウナが特によかった。

  湯けむりに恥ぢらひ隠す冬木立

リラクゼーションエリアもすばらしい。そこでしばし休んでから、生のジョッキと枝豆のセットを手始めに緑水亭で食事、これが我が家の忘年会だ。

庭の湯

 

2008年12月25日木曜日

草加『梅庵』



梅庵

元旦は日本橋のホテルでおせちをいただくことにした。おせちの準備の必要がなくなり、暇なのでちょっと草加まで師走の町をドライブする。カーナビも地図も持っていない。道を間違えた。石臼挽き手打ちそばの看板が目に入る。ちょうど昼時。うどんって書いてあるわよ、何でも屋みたいと妻が言う。まぁ、いいかと、私はもりそば(800円)、妻はたぬきそば(900円)をたのむ。

薄みどりがかった常陸秋蕎麦の九一、つゆも本格的辛汁。そば湯はとろりとして釜のぬき湯ではない。そば湯のおかわりを頼んでいる客もいる。たぬきには分厚い蒲鉾と厚みのある海苔も入っている。たまたま入った店でこういうレベルの高い蕎麦に出会うとうれしくなる。本やネットの評判を真に受けて期待して行って何度裏切られたことか。帰りに玄関脇の打ち場を覗いたら、捏ね鉢で水まわしを一心不乱にやっている大将の背中が見えた。なるほどと思った。

奥の細道 (草加)
【ことし元禄二とせにや、奥羽長途の行脚、只かりそめに思ひたちて、呉天に白髪の恨を重ぬといへ共、耳にふれていまだめに見ぬさかひ、若生て帰らばと、定なき頼の末をかけ、其日漸早加と云宿にたどり着にけり。痩骨の肩にかゝれる物、先くるしむ。只身すがらにと出立侍を、帋子一衣は夜の防ぎ、ゆかた雨具墨筆のたぐひ、あるはさりがたき餞などしたるは、さすがに打捨がたくて、路次の煩となれるこそわりなけれ。】
  

2008年12月24日水曜日

悪意なき欺瞞


悪意なき欺瞞ー誰も語らなかった経済の真相ー ジョン・K・ガルブレイス、佐和隆光訳、ダイヤモンド社
(原題:The Economics of Innocent Fraud - Truth for Our Time, John Kenneth Galbraith)

○1929年の大恐慌。収束に10年かかった。資本主義に代わる経済体制の模索。
○その結果、資本主義は名前を市場システムと変えた。これを新しい思いやりのある資本主義とする欺瞞。
○消費者主権という欺瞞
◎大学の経済学の教科書は実態と乖離しており実経済には役に立たない。
◎GDPという欺瞞 国内総生産だけで国の進歩レベルを計っている。文化、芸術、教育、科学、福祉など物心両面を考慮した物差しが必要。
○労働をめぐる欺瞞 貧者と富者からの二つの意味付けは相反する。
○民間企業に官僚主義はありえないという欺瞞
○小規模優良企業のやり方に学べという欺瞞
○企業オーナー主権という欺瞞
○株主主権という欺瞞
◎連邦準備制度は有効とする欺瞞 金融政策が無効であることほど歴史によって繰り返し証明されてきた経済法則は他に例がない。実質は無為無策の歴史。エコノミストも学者も色々経済予測をするがあたったためしはない。
◎消費低迷、設備投資減少によって、景気が底入れすれば反転して自ずから回復傾向となる。金融政策は一切関係ない。

もともと経済学や国の経済話は苦手だが目からうろこ。でも、これだとまずどん底に落ちて、そこから自ら立ち上がってくるのを10年のスパンで気長に待つしかないということになってしまうが(^^;)

2008年12月19日金曜日

七夕しぐれ


『七夕しぐれ』熊谷達也 (ネタばれ)

 五年生の和也は宮城県の小さな町から大都会の仙台市に引っ越して来た。とは言っても市の中心から離れた広瀬川沿いの色あせた小さな家が新しい住まいだ。そのあたりは昔、穢多(えた)と呼ばれ差別されていた人たちが住んでいたという。同級生のヒロユキとナオミはそこに住んでいるためクラスで差別されていた。ヒロユキの父は元香具師で今はラーメンの屋台を引いている。ナオミの父は公務員だというが刑吏らしい。二人はいとこで母が姉妹だという。他の家には小指のない元香具師の沼倉のおんちゃんやストリッパーの安子ねえが住んでいる。

 和也はユキヒロとナオミと仲良くしたい。しかし二人は自分たちが被差別民の子孫だと知り、和也は結局離れていくだろうと思い、和也を避けている。和也は安子ねえに悩みを打ち明ける。安子ねえは、ユキヒロとナオミがラーメン屋台を手伝っている所に和也を連れていき事情を教える。そして何が正義かあとは自分で考えなさいという。

 三人は心を開いて友情を誓う。和也ははじめてナオミを見かけた瞬間から彼女を好きになっていた自分に気がつく。和也は二人と仲良くしているとクラスでいじめを受ける。あわやというところで、ユキヒロに助けられる。三人はこのままではいけないと力でいじめの仕返しをしようと画策するが、おんちゃんに止められる。それじゃやくざの出入りと変わらない、他の方法を考えろと。
 
 ペンは剣よりも強し、と学校新聞を使って差別はいけない、いじめはいけないと訴えようとするが、寝た子を起こすなと先生に止められる。先生に失望した三人は、実力行使しかないと、原稿をビラとして印刷する。そして決行日、ユキヒロとナオミが放送室を占拠し檄を飛ばし、和也は屋上からビラをばら撒く。近隣の人も放送を聞きつけ生徒に混じりビラを拾う。その中に和也の父も居た。父は頭の上に両手で丸を描いて和也に示した。

 三人は家庭訪問を受けるが大きなお咎めはなかった。和也の父は学習塾を経営していたがうまく行かずもとの田舎町の教師に戻ることになった。七夕の夜、広瀬川の川原でユキヒロ、ナオミ、おんちゃん、安子ねえが和也のためにささやかな送別会をしてくれた。流れ星が流れ、和也とナオミは願い事をした。和也はナオミの願い事が自分と同じだと直感した。
 
感想
 重いテーマをよく少年少女向けの小説のようにわかりやすく、軽いタッチで書けたものだと感心する。沼倉のおんちゃんとストリッパーの安子ねえの存在は大きい。ふたりの何気なく押し付けがましくない言葉は小説の中で重く生きてくる。学校向けの推薦図書にしたいが、事なかれ主義の教師の対応に失望する場面もありそれは無理かもしれない。
 

2008年12月18日木曜日

宅配屋

昨日の早朝、近所のワンルーム・マンションに強盗が入り一帯は封鎖された。包丁を持った犯人は逃走したままのようだ。宅配を装った強盗だろうか。訪問販売、勧誘はドアを開けないでお引き取りいただいているが、宅配だとつい無条件でドアを開けてしまう。これからは、誰に何を持って来たのか問い質してからにしよう。

   ドア越しに問い質される宅配屋  春蘭

2008年12月15日月曜日

年賀状


 雲開萬壑春
         
  本年もよろしくお願い
      申し上げます

   己丑元旦  春蘭 印   


新修墨場必携の春に載っている廖道南の「雲開萬壑春」を年賀状に書くことにきめた。読みは、くもはひらく、ばんがくのはる とか、他にもありそうだが。意味は、雲が晴れて谷間に春景色があらわれるとある。谷底で先の見えない日本にも早く春が来てほしいものだ。 

2008年12月14日日曜日

茂吉の歌



斎藤茂吉全歌集 筑摩書房 1968年

「赤光」(明治38年〜大正2年)

罌粟はたの向うに湖の光りたる信濃のくにに目ざめけるかも

死に近き母に添寢のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる

春なればひかり流れてうらがなし今は野のべに蟆子も生れしか

のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり

あま霧し雪降る見れば飯をくふ囚人のこころわれに湧きたり

さにはべの百日紅のほそり木に雪のうれひのしらじらと降る

かぎろひの夕なぎ海に小舟入れ西方のひとはゆきにけるはも

みちのくの我家の里に黒き蚕が二たびねぶり目ざめけらしも

ぬばたものさ夜の小床にねむりたるこの現身はいとほしきかな

しづかなる女おもひてねむりたるこの現身はいとほしきかな

あかときの草の露玉七いろにかがやきわたり蜻蛉うまれぬ

はるさめは天の乳かも落葉松の玉芽あまねくふくらみにけり

竹おほき山べの村の冬しづみ雪降らなくに寒に入りけり

かへりみる谷の紅葉の明らけく天にひびかふ山がはの鳴り

山川のたぎちのどよみ耳底にかそけくなりて峰を越えつも

やはらかに濡れゆく森のゆきずりに生の命の吾をこそ思へ

白雲は湧きたつらむか我ひとり行かむと思ふ山のはざまに

ながらふる日光のなか一いろに我のいのちのめぐるなりけり


「あらたま」(大正2年〜大正6年)

あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり

草づたふ朝の蛍よみじかかるわれのいのちを死なしむなゆめ

ゆふされば大根の葉にふる時雨いたく寂しく降りにけるかも

いささかの為事を終へてこころよし夕餉の蕎麦をあつらへにけり

やまみづのたぎつ峡間に光さし大き石ただにむらがり居れり

山路をのぼりつめつつむかうにはしろがねの色に湖ひかりたり

山あざみの花をあはれみ丘貫きて水おち激つほとりにぞ来し

さびしさに我のこもりし山川をあつみ清けみまたかへりみむ


「ともしび」(大正14年〜昭和3年)

人恋ひて来しとおもふなあかねさす真日くれてより山がはのおと

おのづから寂しくもあるかゆふぐれて雲は大きく谿にしづみぬ

山のうへに光あまねく月照りて真木の木立にきほひ啼く鳥

壁に来て草かげろふはすがり居り透きとほりたる羽のかなしさ

さむざむと時雨は晴れて妙高の裾野をとほく紅葉うつろふ


「小園」「白き山」(昭和18年〜昭和22年)

沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄に雨ふりそそぐ

最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも

最上川の上空にしてのこれるはいまだうつくしき虹の断片

おしなべて人は知らじな衰ふるわれにせまりて啼くほとどぎす

あたらしき時代に老いて生きむとす山に落ちたる栗の如くに

コメント
茂吉は「短歌声調論」や「万葉短歌声調論」で万葉調は順直でわかりよいとする。藤原定家は屈折が多く、くだくだしく抽象的なところがあり読んでもぴんとこない、村田春海は、てにをはや作用言が多過ぎごたごたしており調がくだけて弛緩してしまっていると評している。

声調が心地よく、わかりやすく、共感できるものという観点から茂吉の歌を選んだ。茂吉自身が批判していた、くだくだしく、ごたごたした感じの歌もなくはない。まして現代歌人をや。



写真提供はフォト蔵さん

冬歌仙「風花の巻」



   冬歌仙「風花の巻」     
              首 2008年11月26日   
              尾 2008年12月13日

発句  風花や我にも低き軒ひとつ     木槿  冬
脇     色なき床に挿せる侘助     春蘭  冬
第3  飲み干せる金継ぎ茶碗手に取りて  草栞
4     久闊を叙する趣味の輩      百
5   日も月もぼんやり在す春の暮    面白  春月
6     鞦韆の影園庭に揺れ       合  春

1   初蛙後ろ歩きの女の子       みかん 春
2     新劇団の稽古始まる      青波
3   練り上げて蜜度深まりゆく二人    亮  恋
4     顎軋むまで厚きバーガー     槿   
5   名声も財も失う著作権        百
6     小人閑居徹夜の博奕       栞
7   妻を恋ふ鹿の遠音の身にしみて    白  秋恋
8     盗み服する嫦娥の秘薬      み  秋月恋
9   兎に角に若返りたや菊枕       蘭  秋
10    笑みを忘れて黙する日々は    合
11  思い出の千年の花仰ぎ見る      波  春花
12    港よこはま丘のあたたか     亮  春
名オ
1   地図にない小さな橋や夕霞      百  春
2     数寄な武将は歌を詠むらん    蘭
3   茂吉にも燃えてもだえた恋のあり   亮  恋
4     青き天使に心焦がしつ      栞  恋
5   減量の成果ばっちり更衣       み  夏
6     軽鳬の子よちよちお濠を出づる  白  夏
7   赤信号関係無しに歩いてる      波
8     三年ぶりの帰郷坂道       槿
9   表札の残ったままに酔芙蓉      合  秋
10    兄の面影西瓜提灯        亮  秋
11  ハロウィンの月に妖雲かかる頃    栞  秋月
12    キャノンもソニーも元気であつた 白
名ウ
1   見わたせば蒼く浮き立つ四方の山   蘭
2     ひとり留守居に蕎麦を打ちつつ  槿
3   大根抜く穴は鋳型になりさうな    百  冬
4     白いハートで想い伝える     波  
5   いただいたご縁頼りに花の旅     合  春花
挙句    村をあげての利茶大会      み  春

                   (捌き 木槿)


風花や我にも低き軒ひとつ    木槿
色なき床に挿せる侘助      春蘭
飲み干せる金継ぎ茶碗手に取りて 草栞
久闊を叙する趣味の輩       百
日も月もぼんやり在す春の暮   面白
鞦韆の影園庭に揺れ        合
初蛙後ろ歩きの女の子     みかん
新劇団の稽古始まる       青波
練り上げて蜜度深まりゆく二人   亮
顎軋むまで厚きバーガー      槿   
名声も財も失う著作権       百
小人閑居徹夜の博奕        栞
妻を恋ふ鹿の遠音の身にしみて   白
盗み服する嫦娥の秘薬       み
兎に角に若返りたや菊枕      蘭
笑みを忘れて黙する日々は     合
思い出の千年の花仰ぎ見る     波
港よこはま丘のあたたか      亮
地図にない小さな橋や夕霞     百
数寄な武将は歌を詠むらん     蘭
茂吉にも燃えてもだえた恋のあり  亮
青き天使に心焦がしつ       栞
減量の成果ばっちり更衣      み
軽鳬の子よちよちお濠を出づる   白
赤信号関係無しに歩いてる     波
三年ぶりの帰郷坂道        槿
表札の残ったままに酔芙蓉     合
兄の面影西瓜提灯         亮
ハロウィンの月に妖雲かかる頃   栞
キャノンもソニーも元気であつた  白
見わたせば蒼く浮き立つ四方の山  蘭
ひとり留守居に蕎麦を打ちつつ   槿
大根抜く穴は鋳型になりさうな   百
白いハートで想い伝える      波  
いただいたご縁頼りに花の旅    合
村をあげての利茶大会       み


写真提供は、木槿さん

2008年12月11日木曜日

短歌に於ける四三調の結句


江戸時代後期の歌人、香川景樹は「歌は感動を言葉によって調べるもの。調べとは性情の声である」と述べ、歌の本質を「しらべ」とした。古今和歌集の歌風を理想とし、歌集「桂園一枝」、評釈「古今和歌集正義」を著した。 香川景樹1 香川景樹2
 
香川景樹に私淑した井上通泰は、「結の句の七は必ず三四ならざるべからず。万葉には四三なるもの往々之あれども苟も重きを調べに置くを知りてよりこの方古今然り金葉然り。四三にすれば自然に耳立ちて諧調を得ず。」と述べた。(森田義郎「現代六歌仙評」)井上通泰

斎藤茂吉は、四三の結句も多い万葉調を理想としている。茂吉はこの井上通泰の弁を聞き捨てならずと、最初の歌論「短歌に於ける四三調の結句」(明治四十一年十一月二十三日:26才)を『アララギ』に載せた。

斎藤茂吉「短歌に於ける四三調の結句」
万葉集から四三で成功している例を沢山示した後、結論として、

○万葉集を読めば分かるように、四三調の結句で佳作がある。そして四三調でなければならない結句も少なからずある。

○四三調は程度の差はあるが概して敏活なる内的・外的な運動を表現するのに適しているようである。

○日本語の性質上四三にせざるを得ない場合も少なからずある。結句は必ず三四にしろとか四三にしろというような説は私は支持しない。

◎「一首は五音の軽きに初まり七音の重きに終われる形式乃至一種の美術として統一せる作品たる以上は少なくも安定の姿ならずべからず。正岡先生の結句を八釜しく云はれたるもこれが為めなり。四三調の結句の失敗する時は不安定の姿に陥り一首を結ぶに足らず。」(斎藤茂吉選集 第16巻 岩波書店)

感想
四三の結句に成功と失敗があるというのは同感である。万葉、古今、新古今に限らず採られている四三結句の歌はすべて成功例なのだろう。
現代歌人の歌は一般に意味内容重視で盛り込み過ぎ気味で散文のようであり、歌として声に出して朗詠するには苦しく、全体的に声調が崩れているので、安定感を欠く失敗作の四三の結句も紛れて目立たないであろう。


写真:一位(いちい)の実。一位の別名がアララギとのことだが、蘭と書くとは知らなかった。

2008年12月10日水曜日

茂吉の有妻恋



「斎藤茂吉・愛の手紙によせて」永井ふさ子著、昭和56年

茂吉は昭和11年(満54才)から昭和12年(55才)にかけて、美貌の弟子、永井ふさ子と恋に落ちた。ふさ子の父は、茂吉の師、子規と幼なじみであった。

茂吉は手紙を読んだら焼却するようにその都度指示していたが、彼女はほとんど焼かずに保存していた。斎藤茂吉全集にも載っていない、歌人茂吉の相聞として公開する価値があると関係者から勧められ、コメントを付けて出版した。

     *  *  *

昭和11年の正月の夜、浅草公園の池の藤棚の下ではじめての接吻をした。そのとき巡査に暗がりで何をしているのかと怪しまれ連行されてしまった。

    口吸ひて挙動不審と咎められ 春蘭

茂吉 「老山人もふさ子さんの御きまりの時に諦念に入ります」
ふさ子「非常に素朴で純粋で偉い方のようでなく子供の様なところが好きです」

 白玉のにほふ処女をあまのはらいくへのおくにおくぞかなしき 茂吉
 夜もすがら松風の音きこゆれどこほしきいもが声ならなくに   同
 玉のごとき君はをとめぞしかすがにわれは白髪の老人あはれ   同 
 冷やびやと暁に水を呑みにしが心徹りて君に寄りなむ     ふさ子

次の歌は二人の合作だが、ふさ子の下句を評して茂吉は「人麿以上だ」と言った。

 光放つ神に守られもろともにあはれひとつの息を息づく 茂吉・ふさ子
                             (S11.11.17)

男の老いてからの恋は自分ではやめられないものだ、やめるには女の方が去るしかない、とふさ子は茂吉の周辺の人から言われる。二人の秘密のはずの恋愛は周辺にも感づかれていた。原節子より美しいとふさ子に言い寄ってきた人もあっただろう。茂吉は、老残の諦念と恋しさのはざまで疑心暗鬼や嫉妬も加わり、身も狂わんばかりであった。

茂吉「ふさ子さん!ふさ子さんはなぜこんなにいい女体なのですか。何ともいへない、いい女体なのですか、どうか大切にして無理してはいけないと思います。玉を大切にするやうにしたいのです。」 (S11.11.26)

茂吉は、一度は分別よくあきらめ別れようと思った。
茂吉「あなたはやはり清純な玉でありました。人に怖ぢつつの清い交はりであり
ました。天地にただ二人の清浄なる交流でありました。僕は老残の身をいたはり
つつせい一ぱいの為事をして、世を去りませう。この時に、あなたとの清純な交
流を得たことは非常な幸福でありました。僕は山河に向って号泣しませう。そし
て天地に向って虚偽・計略・残忍等を絶した「生」を幽かに保ちませう。恋しき
人よ。さようなら。」                      (S12.1) 

と言いながら、この年、80通の文をふさ子に送る。

 西の風なま暖く日もすがら吹きしくなべにきみをしぞおもふ  茂吉
                    きみをこそおもへ
                    きみぞこほしき
                    ただにひとこほし
                    きよき肌はも 々々無限也
                           
昭和12年5月頃、ふさ子は岡山のM氏と婚約する。茂吉はお祝いに短歌を贈る。9月に結納を済ませる。

 春の光若葉のまにま照るときをさきはひの道の上にたちます  茂吉

しかし、周辺の人の言葉通り、茂吉の恋は、ふさ子の婚約・結納で逆に燃え上がってしまった。それはふさ子も同じだった。二人は郊外での逢瀬と旅を重ねた。

ふさ子は自責の念から婚約を解消し、茂吉からも身を引く決心をした。東京を去り、松山に帰ったが肋膜炎を再発した。茂吉に直接指導を受けていた歌もやめた。
ふさ子「・・・その草花を摘みながらも、憶いは始終遠く先生のうえにあった」 ふさ子は生涯独身を通したという。

    想うだけでやめる分別哀しかり  春蘭

茂吉の歌集「白桃」「暁紅」「寒雲」(昭和8年~昭和14年)の中にある以下の歌はこの恋愛に関係しているようだ。

 清らなるをとめと居れば悲しかりけり青年のごとくわれは息づく  茂吉
 秋みづの清きおもひをはぐくみてひむがしの野を二人し行かな
 くれなゐに染めたる梅をうつせみの我が顔ちかく近づけ見たり
 まをとめにちかづくごとくくれなゐの梅におも寄せ見らくしよしも
  
昭和28年2月25日 茂吉没 満70才

昭和49年10月初め、ふさ子は茂吉の故郷、山形を訪れる。

 最上川の上空にしてのこれるはいまだうつくしき虹の断片   茂吉
 最上川の瀬音昏れゆく彼の岸に背を丸め歩む君のまぼろし   ふさ子

    想い出す恋はフィルターかけている 春蘭

2008年12月9日火曜日

短歌一家言


斎藤茂吉「短歌一家言」昭和22年
 (斎藤茂吉選集 第十六巻 歌論、には「短歌道一家言」という題で収録)

○実地(実際)を歌ふ。実地に自然に観入して直裁に歌ふ。

○声調のひびき。

○画の賛などといふものは余り即き過ぎるとおもしろくない。不即不離のところに面白味がある。

○天然に観入すればそこには幾多の自己の象徴たるものがある。

○西洋のものでも、日本のものでもそれが自然にさうなるのが矢張りよい。象徴象徴と狙ったのはどうも僕にはおもしろくない。

○一見客観的に見えるものでも一見主観的に見えるものでも、これを「実相観入」の語に打って一丸となすことが出来る。

○実相に観入しておのづから歌ひあぐるのが即ち歌である。これを「写生」と謂ふ。「写生」とは実相実相と行くことである。そしてその生を写すことである。生はイノチの義である。

○観入の実行を突き詰めて行けばおのづから「感動」は一首の短歌の中に流露する。

○子規は、晩年になるに従つて、ますます万葉調になって行った。古語もどんどん用ゐた。僕もさうである。

○短歌は三十一音の詩であるから、その中に色々の事柄を詰めると余裕が取れずに抒情詩本来の面目がなくなってしまふ。

○情が切実であればあるほど、盛る意味合が単純になるのが自然の行方である。つまり短歌では「単純化」が自然に行はれねばならぬといふことになる。

○短歌の形式は五七、五七と行き軽から初まって重に終ってゐる。即ち一首の形態は三角錐体のごときもので、安定の姿をなしてゐる。この事は結句が好く据わってゐなければならぬといふことに関聯してゐる。

○万葉、古今、新古今は日本の三つの大切な歌集で、革新の何のと言っても、いざとなれば此の三つの歌集を目当としたのである。

○明治三十年、和歌革新の烽火 主義は何であっても偉い者が出なければ駄目だ。
  落合直文の浅香社 与謝野鉄幹の新詩社 佐佐木信綱の竹柏会  
  正岡子規の根岸短歌会 尾上柴舟らの雷会 八杉貞利らの若葉会
 
○新しく変化した歌が古い歌に優ってゐるとは限らず、却って堕落して行った歴史はすでに上に述ぶるところがあった。新しい歌について論ずるものは常にこの理法を知らなければならぬ。けれども作者としては飽くまで自己に執するより道はない。かくしてなほ古人に劣らば、かうべを俯して懺悔すべきである。

2008年12月7日日曜日

篤姫

  別れとはまた逢ふときの楽しみに離ればなれになるだけなのです  春蘭


 口語歌のつもり。今生の別れに幼なじみの天璋院篤姫を訪れた小松帯刀が言った言葉に泣けた。「短歌一家言」で斎藤茂吉は、口語歌には同情する(異を唱えないくらいの意味か)が、万葉調や古語にひかれている自分は今後も口語では詠まないだろうと言っている。

2008年12月5日金曜日

凛としてリストラ受ける人はなし
お茶会にだんだん妻は凛とする   
凛々しさのなごり変じて無愛想 

鬼に喰われた男


与謝野鉄幹 ー鬼に喰われた男ー  青井史著、深夜叢書社

歌風がますらお(益荒男)ぶりの与謝野鉄幹は、たおやめ(手弱女)ぶりの妻である鬼、与謝野晶子に喰われてしまった。晶子(ら?w)との恋愛を機に鉄幹は慷慨調・虎剣調から星菫調・明星調の感傷的な歌風に転じたが、晶子にはかなわず彼女の伯楽に徹した。と一般には言われるが、この本では鉄幹のたおやめぶりの歌風はもともとあったもので転じたわけではないとする。ますらおぶりは時代背景から壮士気取りしただけで鉄幹の生来のものではなく、生来なのはたおやめぶりだと言っているようだ。(鉄幹の歌は句読点を省略)

  野に生ふる草にも物を言はせばや涙もあらむ歌もあるらむ  鉄幹
  うるはしく心はもたむ飛ぶ蝶をまねくも花のにほひなりけり  同
  春の野の小草になるる蝶見ても涙さしぐむ我身なりけり   晶子

  ますらをを喰らふ手弱女実は鬼  春蘭

これと相似のことが川柳でも起こっているのかも知れない。現代川柳は詩的抒情・浪漫(たおやめぶり)を強調して女性の賛同と進出をうながした。しかしそれによって伝統的な川柳の滑稽で軽くうがちのある骨太の句風(ますらおぶり)は、恋と感傷の鬼の女性たちに喰われてしまった。現代のますらお達はそれに追従している図式なのか。



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