2008年12月11日木曜日

短歌に於ける四三調の結句


江戸時代後期の歌人、香川景樹は「歌は感動を言葉によって調べるもの。調べとは性情の声である」と述べ、歌の本質を「しらべ」とした。古今和歌集の歌風を理想とし、歌集「桂園一枝」、評釈「古今和歌集正義」を著した。 香川景樹1 香川景樹2
 
香川景樹に私淑した井上通泰は、「結の句の七は必ず三四ならざるべからず。万葉には四三なるもの往々之あれども苟も重きを調べに置くを知りてよりこの方古今然り金葉然り。四三にすれば自然に耳立ちて諧調を得ず。」と述べた。(森田義郎「現代六歌仙評」)井上通泰

斎藤茂吉は、四三の結句も多い万葉調を理想としている。茂吉はこの井上通泰の弁を聞き捨てならずと、最初の歌論「短歌に於ける四三調の結句」(明治四十一年十一月二十三日:26才)を『アララギ』に載せた。

斎藤茂吉「短歌に於ける四三調の結句」
万葉集から四三で成功している例を沢山示した後、結論として、

○万葉集を読めば分かるように、四三調の結句で佳作がある。そして四三調でなければならない結句も少なからずある。

○四三調は程度の差はあるが概して敏活なる内的・外的な運動を表現するのに適しているようである。

○日本語の性質上四三にせざるを得ない場合も少なからずある。結句は必ず三四にしろとか四三にしろというような説は私は支持しない。

◎「一首は五音の軽きに初まり七音の重きに終われる形式乃至一種の美術として統一せる作品たる以上は少なくも安定の姿ならずべからず。正岡先生の結句を八釜しく云はれたるもこれが為めなり。四三調の結句の失敗する時は不安定の姿に陥り一首を結ぶに足らず。」(斎藤茂吉選集 第16巻 岩波書店)

感想
四三の結句に成功と失敗があるというのは同感である。万葉、古今、新古今に限らず採られている四三結句の歌はすべて成功例なのだろう。
現代歌人の歌は一般に意味内容重視で盛り込み過ぎ気味で散文のようであり、歌として声に出して朗詠するには苦しく、全体的に声調が崩れているので、安定感を欠く失敗作の四三の結句も紛れて目立たないであろう。


写真:一位(いちい)の実。一位の別名がアララギとのことだが、蘭と書くとは知らなかった。

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