2010年2月28日日曜日

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古いmixi日記の取り込み終了。368件。
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春浅し

2009年04月06日09:55

春浅し山廬独居のおもしろさ

3/28〜4/11

年賀状


2008年12月15日16:10

 雲開萬壑春
         
  本年もよろしくお願い
      申し上げます

   己丑元旦  春蘭 印   


新修墨場必携の春に載っている廖道南の「雲開萬壑春」を年賀状に書くことにきめた。読みは、くもはひらく、ばんがくのはる とか、他にもありそうだが。意味は、雲が晴れて谷間に春景色があらわれるとある。谷底で先の見えない日本にも早く春が来てほしいものだ。

山日記(四)都留




2007年06月12日19:49

6月12日(火)はれ

都留市谷村 桃林軒

 八百屋お七の大火(1682年)で芭蕉庵を焼け出された芭蕉は、弟子で谷村藩国家老の高山麋塒(たかやまびじ)に招かれて、麋塒の離れ(都留市谷村)の桃林軒(とうりんけん)に1683年1月から5月まで五ヶ月間寄寓した。時に芭蕉は数えで四十、不惑であった。再建された桃林軒には芭蕉の発句に脇を付けた連句の句碑があった。

 夏馬の遅行我を絵に看る心哉  芭蕉
  変手ぬるく滝凋ム滝     麋塒
 蕗の葉に酒灑ぐ竹の宿黴て   一晶(「一葉集」)


 馬ぽくぽく我を絵に見る夏野哉 芭蕉
  峡は雪解の富士が収まる   春蘭


      
 岩殿山
 岩殿を侮るなかれ夏あざみ
 落城の山には白き娥の乱舞
 熊注意札見てもどる夏の山

山日記(三)時鳥



2007年06月12日19:24

6月9日(土)終日雨
 五月雨や生ごみ捨てに出る女
 木も草も雨にうな垂れ青葉闇
 夏籠り賞味期限を先に食ふ


6月10日(日)雨
 三年ぶりか、時鳥が飛んできて啼いてくれた(^^) 
 きゃっきゃ、きゃきゃきゃきゃ! 
 特許、許可局! 
 てっぺん、かけたか! 

 聞きようであるが、ちょうど高くなり放題の辛夷と楓、紅葉、桂のてっぺんを止めるべく伐っていた時だったので、てっぺん、かけたか!と聞こえて可笑しかった。

 とどくうち高枝伐らんほととぎす
 とどくうちてつぺん伐らん時鳥


6月11日(月)はれのち曇り
 夜来の雨が止み青葉の光がまぶしい。鶴の一声、見上げると蒼穹を一羽の鶴が飛んでいた。

 霖雨止青葉遍光
 孤鶴一聲山盧上

山日記(二)夏沢峠




2007年06月12日19:18

6月7日(木)はれ
蕎麦打つて独り食み居り青時雨
かるがもの池にくつろぐ植田かな


6月8日(金)くもり

夏沢峠

 ひとりでは山に行かないようにと家族に言われていたが、朝7時に発作的に山荘を出発。小淵沢から鉢巻き道路に入り北上。美濃戸口を右に見て左折。牧草地脇の砂利道はサファリラリーのようで結構好きだ。上槻木から鳴岩川の北側を三井の森に沿って東へ進む。

 T字路を右折しフォレスト・カントリー・クラブ方面に進む。両側は三井の森で別荘地かゴルフ場だ。しばらく行くと唐沢温泉と夏沢鉱泉の分岐点に出る。狭い登山道のような砂利道。向こうから車が来たら往生するだろう。

 来ないことを祈りながらしばらく進むと、桜平のゲートに出た。車はここまで。駐車場は150メートル上ったところにある。道の脇に止めてもかまわないようだが、律儀に駐車場に止めた。

 8時40分、ゲートを通る。鳴岩渓谷に沿って上って行く。久しぶりの登山で体が重い。胸が苦しい。こんなことでどうする。峠までは無理かも知れない。山はまだ早春のようなおもむきだ。高い山肌には雪渓も見える。

  夏沢の汗はいのちや滝の音

 やがて上の方に煙突の煙が見えた。夏沢鉱泉だろう。山桜が満開だ。

  鉱泉に煙立ち立つ山ざくら

 鉱泉の主人だろうか、外に座っていた。お互いに会釈した。声をかけようとしたが携帯電話中だった。またこちらを見たので会釈して去る。主人は携帯の時刻を見たようだ。軟弱そうで変な格好のおやじがひとり9時に通過とでも記憶するのだろうか。

 あえぎあえぎ、休み休みのぼっていく。ちょっと休めば息の苦しさがおさまってくる。ようやくオイレン小屋に到着。外で主人と客だろう、談笑している。会釈して、「峠まであとどれくらいですか」と聞いた。「大丈夫だよ、ちょっと雪があるけどね」という返事。距離も時間もわからないけど大丈夫なんだろう(^^;)

 深い森に入ると鳥の声も沢の音もしなくなった。暗い原生林の中は雪がたくさん残っている。寒いし雲行きもあやしく心細い。自分の雪を踏む音と心臓の鼓動ばかりを意識する。

 新しい倒木も多い。苔に覆われた根が浮き上がっている。植物にとっても過酷な環境なのだろう。

  残雪の原生林や靴の音

 まだかまだかと思わず一歩一歩あがっていくことに専念しよう。苦しければ休めばいい。

 暗い森を抜けた。視界が開けた。ここが夏沢峠か。小屋が二つあり、その後方にそびえているのが硫黄岳だろう。時刻は10時40分、桜平から2時間もかかってしまった。

 山彦荘とヒュッテ夏沢は閉まっていた。『単独行』の加藤文太郎は初めての冬山の第一日目をここで迎え引返した。二日目は人恋しくて本沢温泉へ下りていった。しかし誰もいなかった。

 今は初夏、私のほかには誰もいない。文太郎の淋しさを察しつつ岩陰に風を避けて休む。霧が濃くなってきた。硫黄岳は雪渓が残っている。

  夏沢の峠をひとり霧の中

 とりあえず、早い昼飯にしようか。ぶどう入りパン、大根、胡瓜、トマト、甘納豆、干し魚、チョコレート、水。甘納豆と干し魚は文太郎のまねだ。山彦荘の看板にはももんがとやまねが巣食っていると書いてある。たしかに小屋には破れたままの板壁がみえる。

 11時20分、さぁ、元来た道を戻るかと歩き出した。ふと、山彦荘の脇のすぐ下の崖になにか黒いものが動いた。すわ、熊かと驚いたがよく見ると、日本かもしかだった。断崖に生えたわずかな青草を無心に食べている。

 じっと見ていたら、見返してくれた。「どうしたの?」と言われたような気がした。「うまい?」と声をかけたが、怯えもせずまた草を食べている。山川草木皆悉有仏性。このかもしかは神様の一つの姿かもしれないと思いながらまたあかずながめていた。またまなざしを返してくれた。余計なことを考えず、無心に山のかもしかに成りきっている。

  崖の草食む羚羊や雲の峰

 かもしかと別れて帰路につく。上りは心臓、下りは膝がきつい。雪に突っ込んだステッキが折れた。桜の倒木の枝を杖にして凌ぐ。帰りには往きに見えなかったものが見えてくるものだ。色々な苔、すみれ、山桜、多くの名も無い滝。

  夏沢の苔むす道やすみれ草
  かへさにはむしろ名も無き滝が見え

 12時45分に桜平のゲートに到着した。あこがれの夏沢峠にたどり着けた達成感に満たされて山荘に帰る。もちろんひとりで乾杯だ。

山日記(一)境川




2007年06月12日19:11

6月6日(水)はれ
 境川の飯田蛇笏の山盧をたずねたが、朝早く道を聞くべき村人も見えずギブアップ。桃畑の丘の結構下の方ということは分かった。

 境川
夏霞山盧たづねて境川
連山の影はおぼろや夏霞

 聖応禅寺
狂鶯の歩みどどむる美声かな

 須玉
新麦のあはきみどりの穂波かな
山家へと遠き坂みち花茨

 大泉
刈草のけむり入り込む車窓かな

 山家
木苺の花にむぐれる熊ん蜂
郭公を耳に草刈る山居かな

孤高の人(二)


2007年06月01日21:00

冬/春/単独行

   八ヶ岳
      一月二日 曇 温泉出発九・三〇 二五〇〇メート
      ルくらいの地点一一・五〇 温泉帰着一・〇〇
 
  今日もやはり天気が悪い。雪はあまり降ってはいないが風が
 なかなか強い。また峠へ行って硫黄岳の偃松帯まで登る。岳は
 霧や風と戦いの真最中で凄い音をたてている。一人では登る気
 にならない。トボトボ温泉へ引返す。

  近所にスキーを練習するような所はなし、しようがない。火
 を焚いてみようと思って温泉の前に積んであった薪を小さく割
 って積み重ね、紙を燃して一生懸命に吹いてみたが、ちよっと
 燃えるだけですぐ消えて黒くなってしまう。

  ローソクも相当燃してみたが火力が弱いのか、やはり駄目で
 あった。これまでの夏期の登山では雨が降ろうが、風が吹こう
 が、一日だって同じところに停まったことがなかったので、元
 日は今日も吹雪がつづくのではなかろうかと思って、一番心細
 かった。

  しかしこの日は、冬山は夏のようにはゆかないということが
 わかり、だいぶ落着いてきた。戸棚に宿泊人名簿とキングの古
 雑誌があったので、それを読んだりした。

     一月三日 快晴 温泉出発三・〇〇 夏沢峠五・〇〇 
     本沢温泉六・〇〇 夏沢峠八・〇〇 硫黄岳九・〇〇 
     横岳一〇・二〇 赤岳一一・一〇 夏沢峠一・四〇 
     夏沢温泉三・〇〇 上槻ノ木六・三〇
 
  夜中から星が光っている。八ヶ岳の頂きに立つ日がやってき
 たのではなかろうか、そう思うと何度も目が覚めてよく寝られ
 ない。早すぎると思ったが思い切って出発し、ランタンをたよ
 りに峠へ急ぐ。

  峠ではまだ暗く風が強いので、シールをつけたまま本沢温泉
 へ下ってみる。番人がいたら御馳走をしてもらうつもりだった
 が、あいにく留守でがっかりした。峠からこの温泉までは森林
 帯でさほど危険でないが、スノウ・ボールが落ちるほど急なと
 ころが多く西側とは段違いだから、スキーのうまくない人はシ
 ールをつけて下ってもさほど時間は変らないと思う。しかし温
 泉附近はとてもいいスロープがある。

  硫黄岳から天狗岳への山稜がモルゲン・ロートに燃えだして
 素敵だ。急いで峠に引返し硫黄岳へ登る。相当上までスキーは
 使えるが、風が強いので昨日登ったところでスキーをアイゼン
 に変え、偃松帯へ入ってちょっと泳ぐともう雪は堅くなってい
 る、アイゼンで気持よく歩ける。

  風はとても強いが、天気がいいので安心して登る。硫黄岳の
 頂きで初めて見た冬山の大観。それは僕には一生忘れることの
 できない一大驚異であった。

  頂きはとても寒いので長く立ってはいられぬ。急いで横岳へ
 向う。硫黄岳と横岳の鞍部では風のため二、三度投げ出された。
 顔と手の寒いことよ。スキー帽の上に目出し頭巾を冠り、その
 上を首巻でグルグル巻いているのに、風の強く吹いてきたとき
 は痛いと思うほど寒い。顔と手は皮の物を使わなければ駄目ら
 しい。

  横岳へ取付いてすぐ二カ所岩にかじりつくところがある。し
 かしどっちも低いし、落ちても安全なところである。横岳は殆
 んど東側ばかりを歩いた。さほど悪いと思われるところはない。

  横岳の下りで、新雪の急斜面を横切るとき、ミシッと言って
 大きな割目ができたので、ヒャッとして夢中で元の方へ這い上
 った。ここは今ちょうど太陽が直射していて深く潜るところで
 あった。そこでこんどはズッと上の方を偃松や岩角を掘り出し、
 これを手掛りとして通った。

  この辺から見た赤岳はとても雄大である。鞍部にある赤岳の
 小屋は戸口に雪がつまっていて入れそうにない。風は止んでズ
 ッとあたたかくなってきた。そして午前十一時十分憧れの頂き
 に立った。

  三年前の九月一日に権現岳からここへやってきたとき、一月
 などにこの頂きに立てようとは夢にも思わなかったが、何と幸
 運なことだろう。昨日までの苦心はこれで完全に報いられた。

  さあベルグハイルを三唱しよう、歌も唄おう、四囲の山をも
 う一度ゆっくり眺めよう。そうして北の山を眺めていると、乗
 鞍へ向った先輩のことが頭に浮んでくる。今あたり乗鞍の頂き
 に立って、エホーと声をかけているのではなかろうか、何だか
 そんな気がする。

  早く会って乗鞍の話を聞こう、また八ヶ岳のよかったことを
 話そう。帰りに横岳の西側を歩いてみた。雪の着き方が少ない
 ので楽だが、悪場のため、長くは歩けなかった。

  横岳を過ぎ硫黄岳へ登って、赤岳へ名残りを惜しむ、天気は
 依然として変らない。スキーを履いてから峠まで、ちょっとの
 あいだに何度も転ぶ。

  夏沢温泉へ帰って、すぐ荷物をまとめ、山を下る。アーベン
 ト・グリューエンに燃えた八ヶ岳の連峰が、いつまでも見送っ
 てくれていた。




(あとで、青空文庫に『単独行』の全文が載っているのに気が
 付いた。)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000245/card1330.html

孤高の人(一)


2007年06月01日20:37

『孤高の人』新田次郎

孤高の人とは、神戸の造船技師で天性の登山家、加藤文太郎のこと。明治三十八年の生まれは父と同じだ。(父も胸板が厚く頑強だったし孤高の人だった。)

加藤文太郎は登山界に新風を吹き込んだ。山岳会に属さず単独行で驚異的な登山記録を残していく。ヒマラヤを夢見ていたが槍の北鎌尾根で不帰の客となる。まだ三十歳であった。


『単独行』加藤文太郎

新田次郎が『孤高の人』を書くにあたって参照した本。八ヶ岳に関する記述だけ抜粋しておこう。そしてその跡をいつかたどりたい。

加藤文太郎は単独行が好きだったのではない。単独行しかできなかったのだ。その気持ちはよくわかる。心が通い一緒にいて楽しく、無理して話さなくても苦痛にならない友というのはなかなか得られないものだ。

植村直己は同郷の加藤文太郎に少年期から憧れていた。植村はエベレスト遠征に裏方として参加したが、抜群の体力を買われてエベレストのアタック隊員となり日本人初登頂に成功した。しかし、大量の人員・物資をつぎ込んでごく少人数しか登頂できないやり方に疑問を持ち、それ以降は単独行に傾いていったという。


『単独行』より抜粋

 私の登山熱

  八月終りには戸台を経て仙丈岳を極め引返し駒ヶ岳へ登り
 台ヶ原へ下山、大泉村から権現岳を経て八ヶ岳連峰を縦走し
 本沢温泉へ下山、沓掛より浅間山に夜行登山をなし御来光を
 拝し小諸へ下山等の登山をした。

   八ヶ岳

  権現岳の避難小屋に一泊したが、風通しのよいのに驚いた。
 雨は降る、風は吹く、雷の電光が遠く下の方で光って、夜は更
 けて行ったが、やっぱり小屋に寝たのだが、風も引かず、愉快
 に八ヶ岳を縦走することができた。小屋はこの他たくさんあっ
 て登りよい山だ。眺望もなかなかアルプスに引けを取らぬ。
                   (一九二六・五・一)

 冬/春/単独行
   八ヶ岳

   昭和三年十二月三十一日 快晴 茅野六・三〇 上槻ノ木
   一〇・〇〇 一二・三〇スキーを履く 夏沢温泉四・〇〇

  汽車が塩尻に着いた頃は空がどんより曇っていたので心配し
 たが、明るくなるにつれて天気となり諏訪の高原はとても寒い
 風が吹いていた。茅野の駅に下りて、まだ夜の明けたのを知ら
 ない静かな街道を一人トボトボと歩いていると、初めての冬山
 入りの淋しさがしみじみ身にしむ。

  駅から泉野村小屋場まで定期に自動車が通っている。スキー
 をかついで新田のあたりを登っていると、それらしい自動車が
 下りてきた。

  小泉山の下で東の空に判然と浮んだ真白い八ヶ岳連峰に驚き
 の目を見張る。この道の最後の村である上槻ノ木で温泉の様子
 を聞く。今年は経営主が変ったため番人がいないことや、温泉
 までの道も左へ左へと登っていくことを教えられた。

  僕は本沢温泉の方は一度歩いたことはあるが、この道は初め
 てなので心配していた。魔法瓶に湯を入れてもらって出発し、
 だいぶ奥まで木を引き出す馬の歩いた跡を伝う。

  左へ左へと登ったため、地図の道と離れて鳴岩川に近い方を
 歩いた。一四〇〇メートル辺でスキーを履き、一四六七メート
 ルを乗越して地図の道に入った。

  スキーは五寸くらい沈み睡眠不足がこたえてくる。しかし積
 雪量が少ないので夏道がよくわかるし、後を振り返るたびに真
 白い南の駒や仙丈、さては中央の山々、北の御嶽、乗鞍等が 
 次々に現れて慰め励ましてくれる。

  鳴岩川の対岸に温泉でもできるのか大工のノミの音がこだま
 してくる。エホーと声をかけてみたが返事がない。近いようで
 もなかなか離れているのだろう。

  谷が狭くなって両側の山が大きくなりだしたとき、一陣の西
 風がサーと吹いてきてタンネの森がジワジワとおののき、山は
 ゴーと凄い音を立て、青空はすでに刷毛で掃いたような雲にお
 おわれて明日の荒天を判然と示してきた。

  温度も急に下り、僕はなんだか身顫いするような不安に襲わ
 れた。だがそれから間もなく夏沢温泉に着くことができホッと
 した。この温泉は地図で見ると峰ノ松目の北にあたる岩壁の所
 から一、二町らしい、ここからその岩壁がよく見えるから。

  温泉は障子のままにしてあるので風通しがいい。しかし森林
 地帯だからさほど強い風は吹かぬし、明るいので気持ちがい
 い。温度が低いので火は焚けなかったが、畳が敷いてあり、蒲
 団がたくさんあるので寒くはない。水は少し硫黄臭いが小川が
 前を流れている。積雪量は二尺くらいだ。

         昭和四年一月一日 雪 温泉出発九・〇〇 
         夏沢峠一一・二〇 温泉帰着一二・三〇

  昭和四年の元旦は吹雪で明けた。予想はしていたものの山の
 中の一軒屋にいて雪に降られるのは淋しい。元気を出して夏沢
 峠まで行ってみる。道はよくわかるし危険と思われるようなと
 ころはない。スキーは昨日と同じく五寸くらい沈む、峠の頂き
 に雪が四尺ほど積っている。随分寒いのですぐ帰って蒲団の中
 に滑り込む。

 今日は元日だ、
 町の人々は僕の最も好きな餅を腹一パイ食い、
 いやになるほど正月気分を味わっていることだろう。 
 僕もそんな気分が味いたい、
 故郷にも帰ってみたい、
 何一つ語らなくても楽しい気分に浸れる
 山の先輩と一緒に歩いてもみたい。
 去年の関の合宿のよかったことだって忘れられない。

 それだのに、それだのに、
 なぜ僕は、ただ一人で呼吸が蒲団に
 凍るような寒さを忍び、
 凍った蒲鉾ばかりを食って、
 歌も唱う気がしないほどの淋しい生活を、
 自ら求めるのだろう。 



写真提供:フォト蔵
http://photozou.jp/photo/top

萱草第六 雑連歌(十三)完




2007年05月29日10:50

京都大学附属図書館所蔵 古典籍 宗祇『萱草』(わすれぐさ)

 
 かくれても仏や人をすくふらんのこす御法の末の世のなか

 絵にうつすすがたはかりの仏にてまことの色はおもふにぞある

 法の花はじめは遠くひらけきていつくしみこそ四方にみちぬれ


* * * * * * * *


君をいのる此宮川のゆふはらへ

  神祇の連歌のうちに
 月日やうけむ君がことの葉
雲きゆる天津神路の山はれて

 たちもはなれぬ此法の庭
枯し木もめぐむ日吉の神遍(あたり)

 おひかはれるや住よしの松
神がきに杉の木たかき八幡(やはた)山

 言の葉は我身はなれぬ契にて
たのむ心に住よしの神

 げにあだなりや今はたのまじ
後の世をいのれと神や思ふらん

  釋教の連歌のうちに
 つもれる罪をなににけたまし
貝かねもきかぬ栖に明くれて

 舟よる汀人かへるなり
川めぐり山さしおほふ寺ふりて

 うらやむ人よ身をもあはれめ
住わぶるいほりのうへの嶺の寺

 をろかにきけば法ぞかひなき
我いほもおなじ野寺の松の風

 夕さびしき露のふるみち
人かえるあとに野寺の松をみて


http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k107/image/1/k107s0091.html



人かえるあとに野寺の松をみて

 草木をさらに仏とぞみる
ふる寺は露のみ玉のかざりにて

 ながらの山のうちかすむころ
たれかその心の月を三井の水

 世をいとふ人のやどりか谷の奥
しきみながるる山の井のすえ

 のこす御法(みのり)の末の世のなか
かくれても仏や人をすくふらん

 まことの色はおもふにぞある
絵にうつすすがたはかりの仏にて

 すむかくれがにいそぐ彼の国
一聲を鳥もすすめよ山の奥

 後の世までもつらかりし人
身をつくし心をくだけ法の道

 いかでかふるき罪をけたまし
我うくる法は一葉の露なれや

 ほるとみえてぞ土はうきたる
法の水ちかづく袖のうるほひて

 心はそらにうかれてぞゆく
鷲の山御法の庭もうつろひて

 いつくしみこそ四方にみちぬれ
法の花はじめは遠くひらけきて


http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k107/image/1/k107s0092.html
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k107/image/1/k107s0093.html







萱草PDF版
□春夏秋冬
http://homepage.mac.com/metrius/wasuregusaall.pdf
□恋雑
http://homepage.mac.com/metrius/wasuregusazou.pdf

萱草古典籍画像
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/kichosearch/src/tani3755.html

萱草第六 雑連歌(十二)




2007年05月29日09:32

京都大学附属図書館所蔵 古典籍 宗祇『萱草』(わすれぐさ)


をこなひ人のかくる大みね

 かくれがもさすが煙をたてぞせん
なからむあとをたのむ法の師

 人のこころのかはる世中
うき身さへいまはの時やおしからん

 見ればのがれぬあみのうろくつ
射る矢をもねたる鳥には心せよ

 □□□いづれかやすき身のはて
猿さはぐ心の窓をおぼはばや

 むかふ日かげもしらぬ山もと
夜いでてゆくゆくねぶる馬の上

 をそきまなびは人もをしへず
牛の子の親のあゆむに行つれて

  付やうの誹諧躰連歌に
 人につくすはあだのこころか
おれば花あるじをさへや恨むらん

 おもひかねつつねの四(よつ)はうし
ほととぎす又二こゑもききあかで

 はるかに飛やいつみなるらむ
杣人のおのにくだくる木は散て

 いまさらおもひよはるべしやは
さとちかく山の薪を持わびて


http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k107/image/1/k107s0088.html



 かへらじ色はかちの衣手
すみつきて今はとたのむ山の奥

 あしむらむらの真砂ぢの末
あとさびし聲みだれつる鞠の庭

 いつかほとけを夢にだにみん
夜(よな)々のかねの御嶽は聞ばかり

 御祓(みそぎ)や夏をたよりなるらん
むまれつるけふの仏のあととめて

 貝ふくときのうつるほどなさ
たきものの袖のした風うちかほり

 あひ見むまでとおもひてぞ行く
まつ人のおぼつかなさに立出でて

 はかせのみちはいかがたかはん
こゑを引く法のをこなひきかまほし

 いひちらしなばそれもはづかし
おち髪のしろきに老を猶知りて

  北畠大納言家にえらび給し
  百句の連歌のうちに
 あくれば雲や立わかるらん
  といふ句に
年をへし身をうら嶋が玉くしげ

  千句のうちに
 されども夢はつれなからずよ
きけばそのよはひぞ遠き天津人


http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k107/image/1/k107s0089.html



きけばそのよはひぞ遠き天津人

 袖のせはきは玉もかくれず
から人の身を花やかにかざりきて

 おらぬこころぞ劔(つるぎ)なりける
武士(もののふ)は名をたびたびにあらはして

 心やかへる我かたのみち
もののふは文より弓をわざにして

 末にたれ法の始をしたふらん
あしよは車をくれてぞ行く

 ただにぬるをや風もいさむる
しら浪の夜の聲きけとのゐ人

 ぬる夜はあれど夢も結ばず
宿直する時のかはれば鳥なきて

 親よりも子をはぐくみぞまず 
君やしる代をかさねてのつかへ人

 君をおもふに身をぞわするる
つかふるを我しろ髪にはぢもせで

 この世ならでも忘れやはせむ
年たけて君がめぐみをうくる身に

 いにしへよりの住よしのまつ
此君の代こそ長井のうら遠み

 ちたひ(しだい)おもふもおなじあらまし
君をいのる此宮川のゆふはらへ


http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k107/image/1/k107s0090.html

萱草第六 雑連歌(十一)




2007年05月28日18:05

京都大学附属図書館所蔵 古典籍 宗祇『萱草』(わすれぐさ)


我よりもあるべき人の跡とひて

 くるやこずやを露もしらばや
なき人の秋の手向に袖ぬれて

 涙ににたる野べの夕つゆ
秋かぜにきえにし人の跡とひて

 なみだの雨よゆく人にふれ
わたり河かへらぬ水と聞もうし

 涙のみづのすみはいつはり
みそぎにやわかれし袖をわするらん

  俳諧躰の連歌に一句に百句
  付侍しうちに

 人のこころのかはる世のなか
とき過る身こそ六日のあやめ草

 またじとすれど秋のさびしさ
嶺のいほ鹿のわたるも人に似て

 なす罪をくゆるもさすがむくひかは
矢さきにこすは鹿もあだらし

 蘆の夜さむに風おつる聲
すそたらぬ秋のさ衣露けくて

 しのぶ恋路を山にふまばや
あふ坂にやらぬ人めの関はうし

 人のこころのかはる世中
あふさかもはてはなこその関路にて


http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k107/image/1/k107s0085.html



あふさかもはてはなこその関路にて

 君にまかする命なりけり
世にしばしあれとおもはばわするなよ

 とはれぬままに袖ぞ露けき
君しこばしげくもをかし庭の草

 あかざりし別(れ)の跡の秋の床
夜さむのまくらおもかげもねよ

 ひく心こそおもふかたなれ
いはずとも目くばせてだに憑(たの)まばや

 おろかにまなぶ道ぞはかなき
足ときをこえ行(く)山にうらやみて

 かげ立なれん住よしのまつ
むら雨の笠さすばかりふり出でて

 身のはてしをも誰にとはまし
まよひては心の占(うら)もおぼつかな

 かぎりあれはや雲もきゆらん
いただける我おほぞらのはてもうし

 衣はあるにまかせてぞきん
おりにふれかへぬる袖もわづらはし

 いのちのうちにをくる年なみ
つらき世のすゑの松山こえまほし

 たかねおろしはふきもよはらす
とをくなる人をも冨士や送らん


http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k107/image/1/k107s0086.html



とをくなる人をも冨士や送らん

 なが雨にこゆるうつの山みち
冨士をさへかくすは旅の涙にて

 石のうへにも時代(ときよ)こそふれ
人はなをいそぐみだれ碁うちかねて

 あれたるさとは(ぞ)道あまたなる
隣より垣のくづれをふみわけて

 おもふそなたにいつかゆかまし
みどり子のあゆみもやらず親をみて

 我につらきをしたふはかなさ
みどり子は後の親をもまたしらで

 いつのまにとをくは人のかはるらん
子ぞつきづきに生れをとれる

 などとふこともいはすなるらん
みどり子は人のうきにも泣ばかり

 道かすかなるさかのふる寺
かへるなとうき世や人におもふらむ

 おもひのかすはいはれざりけり
物うしや年をなとひそ老の友

 えそやすからぬかかる世中
捨がたき命に松の葉をすきて

 及べき山こそなけれ老の坂
をこなひ人のかくる大みね


http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k107/image/1/k107s0087.html

萱草第六 雑連歌(十)




2007年05月27日17:28

京都大学附属図書館所蔵 古典籍 宗祇『萱草』(わすれぐさ)


 なき人のあとにはうへし忘れ草しのぶこそなをふかき道なれ


 * * * * * * *


 いとどあはれをそふる世中
わびぬるをなげくかうへに老のきて

 ねざめの後の風ぞ身にしむ
うき事も老よりさきはおどろかで

 むかしがたりを誰につくさん
しる事のあるさへ老のうらみにて

 まなびえぬこそ身にくやしけれ
のがるるもある世に老の猶すみて

 へだつるやながき恨と成ぬらん
とを山どりの老のいにしへ

 かろきいのちはまつほどぞうき
老が身は風のうへなる塵に似て

 つれなの人やかすむ明ぼの
老が身の昨日の鐘にはてもせで

 こころまよひの暮ぞかなしき
ともすればあすもと思ふ老のすゑ

 ただかりの世はあるにまかせよ
つれなさもいくほどならん老のすえ

 いかでなみだのかはらざるらむ
老はただ日ごとにあらぬ身と成て

 なにかこころをとむる世中
うき事のなくともすてん老が身に


http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k107/image/1/k107s0082.html



 われひとりかはよしや世のなか
ゆく水をみるもかへらぬ老のなみ

 いくたびかこえぬる年のはつせ山
世をふる河やわが老のなみ

 心ぼそさぞさらにまぎれぬ
まじはれる人にも老はなぐさまで

 うらむるいのち露ときえばや
かぎりだに老は心のままならで

 うら枯の草葉より身はよはりつつ
老のかぎりや露もをくれむ

 すつるをせめて身にぞまかせん(する)
老ぬれば心にかなふ事もなし

 すごきねざめのあかつきの鐘
ゆくすえの心ぼそくも老はてて

 おもひのこさぬあかつきの空
しるしらずいにしへ人をかぞへきて

 すぎしをしのぶ心はかなさ
先だつはうからぬ世にもむまるらん

 うきをたよりとたのむおく山
とるたびに薪つきなん日を待て

 むまるる道をいまつくさばや
たちかへり迷ふなつゐの夕けぶり


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 しのぶることぞせむかたもなき
さきだつをかはりてとめむ道もがな

 心もしらず松かぜぞ吹く
夕暮や苔の下にもうかるらむ

 そはぬ世になど我はすむらん
一日だにあらじと思ふ親のあと

 わすれよとてぞ遠ざかり行く
おほかたの月日もかなしおやの跡

 よそのわかれもうきはかはらじ
よしやただなきをばなきになぐさめよ

  あひしりたる人の身まかりける
  とき独吟の連歌し侍しに

 しのぶこそなをふかき道なれ
なき人のあとにはうへし忘草

 むかしとなるを猶かへさばや
とふあとに七日なのかのうつりきて

  宗砌十三廻に追善の連歌し侍しとき
 つらきかうべにつらき世中
わびぬればとぶらふ跡に事たえて

 みじかきすえをなげけ玉のを
  といふ句に
我よりもあるべき人の跡とひて


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萱草第六 雑連歌(九)




2007年05月27日10:47

京都大学附属図書館所蔵 古典籍 宗祇『萱草』(わすれぐさ)


たれもただおもへば夢のかたちにて

 いづかたも旅の心やうかるらん
身はたのみなやこの世後の世

 しのぶもくるしたえね玉のを
後の世にならば昔の人やみむ

 思ふもかなし迷ふ身のはて
のちの世をなしとだにいふ人もがな

 とはむ人なくなれるふるさと
後の世の事をたのまむ友もがな

 ききてもむかふここちこそすれ
みずもがなわが後の世のますかがみ

 おもふばかりはなにかあらまし
をくれしの後の世とても知ぬ身に

 玉くしげふたりの心ひとつにて
親のそだてし身をあだにすな

 のこるをしへもあればこそあれ
かかる身に猶親なくばいかがせむ

 むかふかがみのつらき後の世
かたちさへ親には生れおとりきて

 よそにちる文をふたりのとがにして
つたへぬをしへ親もうらめし

 むまれぬさきのふるさともがな
しらざりし親のおやさへ恋しきに


http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k107/image/1/k107s0079.html



しらざりし親のおやさへ恋しきに

 おもひあはする涙こそあれ
  といふ句に
われなくばいかにといひし親もがな

 さだかにもなき面影を身にとめて
むかしわかれし親の恋しさ

 わかれしのちの恋しさぞそふ
おりおりに親しあらばと袖ぬれて

 かへらぬ事のつらきいにしへ
おやになどなをざりにては過つらん

 たのむかげなき身をいかにせん
ひとりだにのこると親をおもはばや

 おどろく時ぞ身のとがをしる
親をさへとをき別れに忘きて

 わびぬるとても身をばくださじ
たらちねやかかる我をも祈らん

 あだに過ぬる身をなたのみそ
子や親にいつもそふべく思ふらむ

 ねぬほどは夜の枕もさだまらず
なけばこころをそふるみどり子

 おどろく時ぞ身をなげきける
みどり子を寒きはたへに猶そへて


http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k107/image/1/k107s0080.html



 なにによるべき心なるらむ
みどり子の入なん道はしらまほし

 ゆくすゑしらぬ事ぞはかなき
みどり子に年をいそげば身の古て

 うき中にかたみのなくばいかがせん
あはれさきたつあとのみどり子

 ことかはすほど立ならふ中
いとけなき子のおとといのかたらひて

 みをくるうちにきゆる面影
ますかがみせめて昨日の身ともがな

 年へてや水のゆくゑもかはるらん
瀧のよどみのしるきかみすぢ
 
 うきわが心たれにくらべん
霜はいまふりわけかみの遠き世に

 人ををそれぬことはりぞある
しろかみはさらにすくなる道なれや

 きえむのみこそ身はたのみなれ
さりともの望もつきぬ我よはひ

 山にすむ身のいつを待らむ
おさまれる世はありともの我よはひ

 七世すぐるも夢の春秋
むまれしをいはふや老と成ぬらん


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萱草第六 雑連歌(八)




2007年05月26日19:02


京都大学附属図書館所蔵 古典籍 『萱草』(わすれぐさ)


 はかなき夢の猶や見えまし
よのなかはよしあしともにとどまらで

 八十(やそぢ)ときくもただ夢のかす
まよひゆくちまたの塵の世中に

 かりのいほりのあるる程なさ
ながらへん物とおもはぬ世のなかに

 しづかにこもるいほりともしれ
人は身を世のさかへにや忘るらん

 などかこころの罪にひかるる
わたる世は賤(しづ)かうみをのあさましや

 人のわざこそみなあはれなれ
いくほどの身とて浮世をわたるらん

 わたる人なき雪のかけはし
たれもただ浮世の道にふりはてて

  独吟の百韻に
 よしやしばしはおもひなぐさめ
身にかぎるうき世なりともいかがせん

 いにしへなれし友ぞ恋しき
  という句に
うき世などみちなき人は残るらむ

 しられずよ猶いかさまにかはらまし
わがみるうちもあらぬ世中


http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k107/image/1/k107s0076.html



 ゆくえさだめぬ身をいかがせん
ほどもなき一日のうちもかはる世に

 一日の夢の身をなたのみそ
世中はきのふもむなしあすもなし

 おもふ友ある日こそおしけれ
あすはたがなからん事もしらぬ世に

 いかがはせまし身を秋のかぜ
きえわびてうらやむ雲のあだし世に

 心ひとつになげくとし月
あらましや苔むすみちに成ぬらん

 したひとめつるこころくやしさ
捨よとは人をもいはむ世中に

 つらさくらぶる身ともなさばや
みな人のいとふはたぐひある世にて

 音にきくよしのの花をいつかみん
身はすてずとも心あれかし

 おもひもいでしつらきいにしへ
中々のたのみにをそく身を捨て

 かたらふ友もよしやおく山
すつる身は心ありてもなにかせむ

 むかしがたりをいかがつくさむ
身をすてしゆへをば人のとふもうし


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 うきかすにのみなれるいにしへ
すつる身はもとのさかへも恨にて

 おもへばむかしただ夢ぞかし
さまざまのあらましつきて捨(つる)身に

  人々前句を十句して付侍し連歌の中に
 なをうき事はおく山もなし
鳥のねもきこへぬばかりかくす身に

  千句の連歌の侍しに
 いかがはすまむ冬のおく山
かくす身はしづが爪(つま)木のつてもなし

 秋は山にもすまれざりけり
松かぜは世のうきばかり身にしみて

 まどに瀧みる雲のした庵
世すて人かへらぬ水をこころにて

 捨はつる身を夢やとはまし
よのなかをおもひ返すな苔ごろも

 やつれぬる身のすがたはづかし
人になど命ながくて見えぬらん

 我身かりやにあるもいつまで
いのちをやしばしかたちのやどすらん

 絵にかくのみかもろこしの人
たれもただおもへば夢のかたちにて


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萱草第六 雑連歌(七)




2007年05月26日10:39

京都大学附属図書館所蔵 古典籍 『萱草』(わすれぐさ)


 道あらはれて雪はきえけり
ともし火や文に光を残すらん

 ふみにつれなきほどもしられず
はかなきは今はの老のまなびにて

 いつまでうき身くだしはつべき
老てだにせめて名をえん道もがな

 たがあととしもみえぬふるさと
人はただ名をしらるるもある世にて

  独吟の連歌のうちに
 うることなにぞかりの世中
とどめてもなからん後の名はつらし

 かりなる身とは露やなからん
  といふ句に
生れこし天のみほこの末の代に

 はかなき夢はあともとどめず
物ごとに人とおなじくあらはれて

 しばしの宿や夢のなかみち
かかる身をいづくよりきて受ぬらん

 世をいとふ身の心とはばや
うき事のはじめと何か成つらん

 そなたはさても何をうらみそ
くらふればいにしへはうき事もなし


http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k107/image/1/k107s0073.html



 秋もおもひの数とこそなれ
うき時やゆかぬ年さへつもるらん

 すまれぬ物と世をなうらみそ
うき事のなくば哀やしらざらむ

 法のこと葉ぞわすれがちなる
うきことをききしは耳にとどまりて

 きえもはてぬは命なりけり
いく千たび身はうき事にあひぬらん

 かしこきや民のうへをも祈(る)らむ
ひとりやすくと身をな思ひそ

 ゆくすゑおもふ子をぞいさむる
をろかなる我心より身をしりて

 あるもかひなしおもひきえばや
つれなきは人のためさへうき身にて

 いまのわかれをのちまでもとへ
又こすはけふを我身のなき日にて

 つま木のしづのうちわぶる暮
石の火の影に此身をわするなよ

 こころをすみにいつかそめまし
手ならひに身のうきふしを書すさみ

 もしやこなたをうらみはつらん
人ごとにわが身の科はわすられて


http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k107/image/1/k107s0074.html



 くやしく過し涙こそあれ
捨ぬべき身をさりともと憑(たのみ)きて

 へだてはなをやおもひあからん
見し人の時をうるにも身をはぢて

 世にくらぶればうき事もなし
数ならぬ身をもうらやむ人ありて

 うらみむほどにある世ともがな
かずならぬ身はことはりも埋れて

 人にをくるるあらましぞうき
数ならぬ身とこそならめをろかにて

 ことはりしれば涙おちけん
中々の山がつならぬ身はつらし

 いはむとすればなみだおちけり
よしやただ名さへなき身と誰もみよ

 その事となく袖ぞしぼるる
しらず身のかきりやちかく成ぬらん

 ことしもとかくくらしこそゆけ
わびぬれといけるばかりとなぐさみて

 あはれをかけぬ人はうらめし
わびぬれば世をたのむこそならひなれ

 うき身はたのむかげも定めず
世になびき人にしたがふ袖ぬれて


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萱草第六 雑連歌(六)




2007年05月25日10:31

京都大学附属図書館所蔵 古典籍 『萱草』(わすれぐさ)



 ひさかたの天地にしも生れきておもはざらめやことの葉のみち


 * * * * * *


 ちぎりても情のなくばいかがせん
わが山ざとをあらす松かぜ

 まどうつ雨も老の涙か
山ざとに身をうき雲の消わびて

 又いかならむ人のゆくすえ
老ぬればいまはと思ふ山里に

 かくれがとても住はさだめじ
しづかにとおもへばさびし山の奥

 物おもはでもすまし世中
うき事はありとも山の奥なれや

 むかしおもへばなみだこそあれ
しらざりき都にかかる山のおく

 水のみぢかき山もとのさと
大はらやのぼるをひえの嶺たかみ

 おもふことたちゐにつけて見えやせん
おほはら山の雲のした庵

 山路は水をゆくゆくぞみる
あけぬるかうへに鐘なるしがのうみ

 仏ともなるてふことのあるなるに
あはれくち木を三尾のそま山

  北畠大納言家に奉し百句に
 いる月にたれか心をつくしかた


http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k107/image/1/k107s0070.html



木のまあけゆく箱ざきのまつ

 とをきみちこそ物語なれ
又いつかあこやの松を都人

 ありしむかしぞ見るばかりなる
  といふ句に
大よどや松ものこらぬ浦さびて

  北畠大納言家にあつめ給百句に
 やはらくるうたの詞もあるものを
玉のゆかとふまつ山のかげ

 なみだにわくる宮城ののはら
  といふ句に
松山をわがとしなみのすゑにみて

 けぶりをだにもたやすかなしさ
塩がまを名ある跡ぞとあまもしれ

 とを山もとぞ鐘にしらるる
難波がた紀のうみかけて明わたり

 さす河舟ぞ岸のまへなる
渡辺(わたのへ)やおほ江のにしの入日影

 人はむかしのことの葉もうし
水ならでこゑはながらの橋ばしら

 むかしをのこすさとのふる道
つくれなをながらの橋の跡もおし


http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k107/image/1/k107s0071.html



 かかるうき身はいふかたぞなき
橋ばしらくずるもあるにながらへて

 のちにぞ法のこころをばえし
うらみうるをばすて山の月晴て

 雲ものこらぬ夕だちのあと
かげたかき天のかぐ山月すみて

 こふる都にうかぶうみ山
冨士の雪あかしの月もいつかみん

 いやしきも大君の代を初にて
まなべあさかのやまとことのは

 ひさかたの天地(あめつち)にしも生(れ)きて
おもはざらめやことの葉のみち

 しらぬ汀をたどりこそゆけ
和歌の浦あまにはとはん道ならで

 命あらばいかなる名をかのこさまし
またとしなみのわかのうら人

 てふれてかへす文もなつかし
なき親のいさめし道を学ぶ身に

 ほたるのかげの遠き別路
たらちねのをしへをうけし窓古(り)て

 すむ人は我を隣のかひあらじ
をろかなる身はたれををしへん


http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k107/image/1/k107s0072.html

萱草第六 雑連歌(五)




2007年05月24日14:30

京都大学附属図書館所蔵 古典籍 『萱草』(わすれぐさ)


 君が車のあとのこれなを
分いづる道に小松のかたよりて

 舟さしいたす春の水うみ
しづかなる時代(ときよ)をさるも心にて

 さてもにぬこころ言葉のおぼつかな
かしこき人はそふもはづかし

 こころにこめておほきいつはり
  といふ句に
おそろしやゑみのうちなる其(その)刀(つるぎ)

 あだの名のみに身をやながさん
かなしきはとがをたださぬ時代にて

 いはばやつつむことの葉ぞうき
すぐ(直ぐ)ならぬ道にもさすがしたがひて

 神と人ともただ心から
すぐならば世ををそるべき道もなし

 まことの色はしたにこそあれ
にごる世も民は中々すぐなれや

 浪よりかよふ袖のした風
ひく人やから琴の名を残すらん

 しる人なくてすめる故郷
緒(絃)をもはやたたばや老のひとり琴

 よへども舟はこたへざりけり
ひく琵琶はむせぶ涙に聲たえて


http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k107/image/1/k107s0067.html



 一しきり竹ふきしほる風あらみ
梅さくかげは笛のねもうし

 聲のにほひをふくむ鶯
笛竹の鳥のまひ人うちむれて

 あそぶやいとのみだれたる色
灯に夜はの笛竹こゑふけて

 さえわたる夜ぞ橋に霜ふる
かささぎの嵐にまよふ聲わびて

 秋さはがしく時雨ふる空
からす鳴み山の雲に日は暮て

 ふりわけかみのあだのかたらひ
あげまきのさそふ牛の子帰(る)野に

 今はのときぞ罪ををそるる
いかり猪も矢によはれるは哀にて

 旅人さぞな雪のあかつき
さととをく犬ほふる夜の月さえて

 物かなしかるやどの秋かぜ
蛬(きりぎりす)なくよもぎふに月さえて

 わかれし人ぞ見るばかりなる
あさぢふやふるき都の月のもと

 いづくにすむも身はうかりけり
都にや数ならずともをくらまし


http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k107/image/1/k107s0068.html



 身をかくすべき木のもともがな
都にもながらへんとはおもはぬに

 こころにさびし山の松かぜ
宿からに都も嶺のいほりにて

 心を見てはたのまれもせず
すまばやの山は松かぜ瀧の音

 庭あさくなる冬の木のもと
簷(のき)ちかき山に柴かる人見えて

 おくまで山をもしやとひこん
故郷の松風おもふ柴のいほ

 なれてもさびし山の松風
たれきてか心とどめんしばの庵

 松ふくかぜのすみわたる聲
庵むすぶみ山の苔に水落て

 やどりやとらんさくらかり人
すむ月を太山の庵のあるじにて

 雨ふりすさむ暮のさびしさ
山ざとは雲のかへるを軒にみて

 いそぐは人の又やこさらん
やま里に心とむべきゆへもがな

 詞をもかわずばかりにむつまじく
はやしの鳥のなるる山ざと


http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k107/image/1/k107s0069.html

オブリビオン〜忘却

2007年05月24日11:09

『オブリビオン〜忘却』大石直紀

ねたばれ:
水沢梓は六歳のときジャングルジムから転落し記憶を喪失した。お前は六歳のとき生まれたんだよと兄の良介は言う。中学のとき家族のアルバムに自分の小さいころの写真がないことに疑問を抱いた。

渋井と名乗るルポライターから自分が事件の関係者だと言われる。図書館に行き過去の新聞記事を調べ、自分が1990年熊谷で殺害された主婦、岸田麻子の娘で、犯人は父の信彦であることを知った。

信彦は当時、香港のマイケル・ヤンと組んで偽ブランド品の輸入販売をしていた。事件直後、信彦は偽パスポートで香港に逃亡し、ヤンにかくまってもらっていた。しかし支払った2500万円では1年が限度だという。最悪死んでもらうと脅かされるが偽ブランド品の品質チェックの仕事で生き延びていた。

1997年7月7日香港は中国へ返還される。犯罪の取り締まりが強化され、ヤンはアメリカに、信彦はアルゼンチンに逃亡する。

梓は事件後、麻子の姉景子と夫の水沢俊一のもとに引き取られた。良介はその一人息子で11才だった。梓は良介にとって、いとこから四歳下の妹になった。


【岸田信彦の生い立ち】ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 アルゼンチンのブエノスアイレスは信彦の生まれ故郷だった。
 母菊枝は六歳のとき、家族四人でパラグアイに移住した。母と
 弟はマラリアでなくなった。父と菊枝は自力開墾はあきらめ、
 インディオの農場に雇われ奴隷のような生活を送った。心がす
 さんでしまった父は菊枝に暴力をふるうようになる。菊枝は正
 当防衛で父を死なす。菊枝はブエノスアイレスに逃亡した。ま
 だ14歳だった。掃除係のあとホステスをしていたとき、バン
 ドネオン奏者のロベルト・マルコーニと恋仲になり同棲する。
 1950年にアルフレドを産む。菊枝はアル中で暴力をふるう
 ロベルトを殺し刑務所送りとなる。アルフレドは菊枝の妹加代
 夫婦の養子になり名前を信彦と変えた。
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


音大生になった梓は、ルポライターの渋井に事件の真相と父の消息を聞くために接近する。渋井はアメリカのヤンに会った後、ブエノスアイレスに住む菊枝のもとを訪れる。菊枝は惚けてきていたが息子の信彦を守るため渋井を殺害する。菊枝はやがて亡くなる。信彦はインディオの農場に身を隠しけしの栽培をする。アヘンと劣悪な生活で体が弱ってきた。死ぬ前になんとしても日本に帰りたいと思う。

少しずつ金をためてようやく日本に帰ってきた信彦は良介に会う。そして真実を話す。

【真実】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 梓の母麻子を殺したのは麻子の姉景子であること。景子と信彦
 はピアノ奏者とバンドリオン奏者として意気投合し、不倫関係
 にあり、景子は信彦の子を宿していたこと。信彦は愛する景子
 とお腹の子のため身代わりになり逃亡した。しかし二人の子は
 流産だった。
 梓は小さい頃、景子にピアノを教えてもらっていた。そして家
 で父と景子の演奏をなんども聴いていたのだ。
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


梓はバンドリオン奏者となった。バンドリオンは父信彦が使っていたものだ。今日はアルゼンチン・タンゴの演奏会。信彦は全身に癌がまわり余命一ヶ月と宣告されていたが、車イスでやってきた。もう一つ車イスがきた。景子が乗っている。景子は15年の時効が成立しておりおとがめなしだった。惚けがきているが音楽は違うようだ。梓の体の中に小さい頃から鳴り響いていた『オブリビオン』の曲が外に溢れ出した。


こめんと:
Milva & Astor Piazolla - Tango Argentino - Oblivion (『オブリビオン』アストル・ピアゾラ作曲/演奏 ミルバ歌)を聴いてみた。

歌詞はわからないが、すごくゆっくりしたテンポで、忘却されつつある過去への懐旧と郷愁を感じさせる曲だ。この曲から小説を着想したのだとしたらすごい想像力である。適当に複雑でサスペンス、ロマン、紀行、音楽ありとテレビ化も納得。

憑神

2007年05月23日10:44

『憑神』浅田次郎
 (つきがみ)

ねたばれ:
向島の三囲(みめぐり)神社は霊験あたらかであることが知られている。時は幕末。御徒士の別所彦四郎は、小名木川の土手下に草に埋もれた小さな祠を見つけた。よく見ると三巡(みめぐり)神社とある。しかし三囲神社とは全く関係なかった。ご利益どころか逆に貧乏神、疫病神、死神がそれぞれ順に取り憑くというとんでもない神社だった。

実は彦四郎は上司の娘の婿になって、御徒士の組頭まで出世をしたのだが、男子が生まれた途端、もう用なしとして上司の陰謀により降格し婿入り先を追い出されてしまった。

貧乏神は豪商、疫病神は力士の形で彦四郎に取り憑こうと現れたが裏技(相手を泣かすくらい拝み倒すと災難を別の人にふることができる)で難を逃れた。貧乏神は憎い上司のところへ、疫病神は兄のところへふった。しかし最後の死神(少女)はだれにもふらなかった。

幕府は崩壊し大政は奉還された。もう古い武士の生きるみちはない。処世にたけ彦四郎より低い身分から出世した榎本釜次郎や勝海舟に新しい体制の中で一緒にやらないか誘われるが拒否する。御徒士として最後の死華(徒花)を咲かそうと、家康(慶喜)の影武者の扮装をして上野の山に向かうのだった。

  ならぬ徒花ましろに見えて 憂き中垣の夕顔や

こめんと:
一つのラスト侍の形だろう。浅田次郎の『プリズン・ホテル』は面白すぎるが、そのテイストがこの作品にもある。だが最後の締めるべきところをしっかり締め余韻のある作品となった。映画化もさもありなん。

榎本釜次郎とは新体制に反発し函館にわたり蝦夷国を建設しようとした榎本武陽のことだろう。戦いに破れたが助命され新体制でも生き残っている。勝海舟は幕府方に属しながら日本全体のことを考え、真の攘夷とは何かを知っていた。しかし、その二人の英雄をあざ笑うかのように一介の御徒士、彦四郎は上野の山で散った。すがすがしさを感じない人はいないだろう。


三囲神社 

  遊ふた地や田を見めぐりの神ならば 其角

  みめぐりの社ぐるりと冬木風    春蘭

牛島弘福寺 

  海舟の胆を鍛えよ花の寺      春蘭

萱草第六 雑連歌(四)




2007年05月23日09:19

京都大学附属図書館所蔵 古典籍 『萱草』(わすれぐさ)


 浪にかすめる夜はのいさり火
難波がたあしのかりねに鐘なりて

 たへにあそびのそのぬしやたれ
夕なみの江口の月に舟とめて

 都をいくかへだてきぬらむ
船出せし淀のわたりの西のうみ

 やはたの宮ゐあふかゐはなし
箱ざきや松をゆききの舟にみて

 いたらむにしの国ねがふなり
追風をもろこし舟にまつらかた

 出(いで)やすらひしたびのあはれさ
泪さへもろこし舟のわかれ路に


 夜ふかきみちに舟まよふ也
うき旅をたれしらぬひのつくしがた

 あふさかちかき三井の古寺
たれにそのをしへをまたむ旅の道

 山かぜさむし霜やをくらむ
古郷は草木もいかに旅のくれ

 もしやとをくる文の一ふで
故郷の友をはかなく聞なして

 こころぼそくもこゆる山道
後の世もかくやとひとり旅立て


http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k107/image/1/k107s0064.html



 旅は身をしるかぎり也けり
いかにせむ都をいづる老のすえ

 いのちあらばとかたりてぞなく
おもひやれよはひの末の旅の空

  北畠大納言家に奉し追加の百句に
 霞の庭のくれのさびしさ
雨はれて遠山のこる窓のまへ

 こころぼそきはきぬぎぬの空
しののめの山のはうすく雲引て

 一日一日とをくりこそゆけ
ほどもなく入会の鐘に夜の明て


  千句のうちに
 うき身の行ゑいかがさだめむ
ありはてむ故郷にだに住わびて

 そのままなりし別路のすゑ
故郷のほかにおもはすすみつきて

 かきほの松のときはなる色
さとはあれぬさやは契し人もみよ

 くち木のなかにすめる山陰
水あさきふる井のゐげた苔むして

 真砂をうがつ夕浪のあと
生わぶる磯まの小草むらむらに


http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k107/image/1/k107s0065.html



 しづかなる湖ごしに野はみえて
船に草かるむらの人こゑ

  専順法眼坊にての百韻に
 柴とりかへる人もこそあれ
のこる日に塩くむ浦の遠ひがた

  ある所の会のうちに
 ほたるのかげぞともし火となる
蘆はらにあまの釣せし舟くちて

 すみぬるさまもかはる家々
庭にせく水のながれを田にうけて


 きのふにかはる世中のさま
人もねぬ市のかりやに夜は明て

 いづくへゆけばほたる飛らん
野にむすぶ道芝くちて人もなし

 ならの葉すずし露こぼるらん
ゆく人のおほぢのうへ木陰ふかみ

 たづぬれば又みちまよふなり
帚木のとをきよそめはさだかにて

  北畠大納言家にあつめ給へる百句に
 君が車のあとのこれなを
分いづる道に小松のかたよりて


http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k107/image/1/k107s0066.html

萱草第六 雑連歌(三)




2007年05月22日19:53

京都大学附属図書館所蔵 古典籍 『萱草』(わすれぐさ)


 まくらの露や又しぐるらむ
あかつきの木葉すき行(ゆく)柴の庵

 夕川の月はふたつの影ありて
ゆく水さむく日ののこるやま

 草木をみるも心こそあれ
ふかき野やかり場の鳥をかくすらん

 千どりなきたつ雪のくれかた
野をせばみ御かりの人のさはぐ日に

 文のたよりにいるはりぞある
ともし火とたのむばかりの窓の雪


 いかにして都をおもひはなれまし
春をくらせば又あきの月

 すすむる酒に夜半ぞ深(ふけ)行
あかなくに月はかくれて山もうし

 うちかすむ雲ゐの御階まうのぼり
弓はり月にむかふ山のは

 をよびなき歌に心を猶かけて
月にあはれむあかつきの雲

 春と秋とにうつろひにけり
ほしまつる夜はのともし火影そへて

 涙にみればおほぞらもうし
わが年の星いつまでかめぐるらん


http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k107/image/1/k107s0061.html



  旅の連歌の中に
 なげかすはたびのつらさやなからまし
とをき門出の涙おとすな

 世のあはれをもおもふあかつき
しらずこのわかれやかぎり旅の空

 関のひがしの山ぞはるけき
あふ坂やこえていつみむ冨士の嶽

 涙もくももたえだえにして
なぐさめと都の山やみえぬらん

 後のあしたぞいとどかなしき
きのふまで故郷見えし山越て


 わかれのあとの月ぞかたぶく
かりねせし高嶺を今朝は雲にみて

 こころぼそさのまさる夕暮
雲鳥をしる人にする山こえて

 身の行すゑを思ふあはれさ
草木だにしるはまれなる山越て

 たましゐさへに身にそはぬ頃
雲くらき夜の山路に神なりて

 情ある人を親とやたのままし
くれて宿とふかたをかのさと 


http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k107/image/1/k107s0062.html



 こころさびしくとまる山みち
すまはやな旅に我とふ柴のいほ

 旅の門出をいそぐこゑごゑ
夜はのやど鶏なけば犬ほえて

 いづみとかやもちかき難波津
鐘はたがたびねの夢にかよふらん

 かすめるさとの人のよそほひ
たびまくらかれ飯(いひ)いそぐ火はみえて

 まなべるみちに人いそげかし
関の戸や鳥のそらねに明ぬらん

 夜ふかき山におもふいにしへ
こえかたき関にそらねの鳥もがな


 思ひやるこそおもかげになれ
かへらずばせめて都を忘ばや

 ものうきみちはゆきもやられず
かへりても都や我はたびならん

 あすのいのちもしらぬ恋しさ
かりそめと都を出し身の古(ふり)て

 ひきつひかれつ袖したふなり
おりのりのかはる舟人綱とりて

 夕かぜあらき川づらのさと
あしそよぐ陰にを舟やとまるらむ


http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k107/image/1/k107s0063.html

萱草第六 雑連歌(二)











2007年05月22日13:40

京都大学附属図書館所蔵 古典籍 『萱草』(わすれぐさ)


 けふの日までもおしまれぞする
高野山のこりやよひの花にきて

 軒ばのはやし見るぞ木深き
花ちりし野寺をとへば春くれて

 かかるたよりも旅にこそにあれ
ほととぎす山こえこすはよもきかじ

 とめなば袖のうつり香もあれ
乗駒も水かふ沢のあやめ草

 露はたもとに五月雨の頃
まこもかるよど野のかへさ日は暮て

 見せばやかかる山の下ふし
いる矢をもしらぬ鹿子の哀(命)にて


 すずしき風のすゑのさびしさ
夏の日の夕山がらす嶺こえて

 雲かかる嶺とおもへば風吹て
月をわけ行夕だちの空

 ふく風ふかき松陰のもと
あづさ弓いそべの清水手に汲て

  ある人申侍しにつかはしける連歌のうちに
 法のまなびぞふかきみちなる
水にうく一葉を船のはじめにて

 枕かる野のむらの明ぼの
聲とをきゆふつけ鳥に月おちて

http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k107/image/1/k107s0059.html 



 ちはやぶる神を衣にやどしきて
袖さへ秋の月よみのかげ

 こころものべぬ秋の夜の床
なぐさめよ月こそしらめ我むかし

 ほのめく月にわたるの(鹿)の音
ゆきてねむ枕しほるな花すすき

 みだるる露の月ぞかくるる
すすきちるすえのの山に雲引て

 うへなる山に月かかるみゆ
小萩ちる野べのさをじか今朝なきて


 うくつらきかりねの秋をいかがせん
鹿なく山のあかつきのあめ

  独吟の連歌のうちに
 もののふのあらきはなさけすくなくて
八十(やそ)うち河のすゑの秋かぜ

 月ぞはかなく袖にやどれる
  といふ句に
露よりや身をある物と思ふらん

 けふもけふもと年ぞくれぬる
あやめひくたもとに菊を又つみて

 世々のすゑには生(うまれ)ずもがな
身を秋の落葉はたれかひろはまし 


http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k107/image/1/k107s0060.html