2010年2月28日日曜日

憑神

2007年05月23日10:44

『憑神』浅田次郎
 (つきがみ)

ねたばれ:
向島の三囲(みめぐり)神社は霊験あたらかであることが知られている。時は幕末。御徒士の別所彦四郎は、小名木川の土手下に草に埋もれた小さな祠を見つけた。よく見ると三巡(みめぐり)神社とある。しかし三囲神社とは全く関係なかった。ご利益どころか逆に貧乏神、疫病神、死神がそれぞれ順に取り憑くというとんでもない神社だった。

実は彦四郎は上司の娘の婿になって、御徒士の組頭まで出世をしたのだが、男子が生まれた途端、もう用なしとして上司の陰謀により降格し婿入り先を追い出されてしまった。

貧乏神は豪商、疫病神は力士の形で彦四郎に取り憑こうと現れたが裏技(相手を泣かすくらい拝み倒すと災難を別の人にふることができる)で難を逃れた。貧乏神は憎い上司のところへ、疫病神は兄のところへふった。しかし最後の死神(少女)はだれにもふらなかった。

幕府は崩壊し大政は奉還された。もう古い武士の生きるみちはない。処世にたけ彦四郎より低い身分から出世した榎本釜次郎や勝海舟に新しい体制の中で一緒にやらないか誘われるが拒否する。御徒士として最後の死華(徒花)を咲かそうと、家康(慶喜)の影武者の扮装をして上野の山に向かうのだった。

  ならぬ徒花ましろに見えて 憂き中垣の夕顔や

こめんと:
一つのラスト侍の形だろう。浅田次郎の『プリズン・ホテル』は面白すぎるが、そのテイストがこの作品にもある。だが最後の締めるべきところをしっかり締め余韻のある作品となった。映画化もさもありなん。

榎本釜次郎とは新体制に反発し函館にわたり蝦夷国を建設しようとした榎本武陽のことだろう。戦いに破れたが助命され新体制でも生き残っている。勝海舟は幕府方に属しながら日本全体のことを考え、真の攘夷とは何かを知っていた。しかし、その二人の英雄をあざ笑うかのように一介の御徒士、彦四郎は上野の山で散った。すがすがしさを感じない人はいないだろう。


三囲神社 

  遊ふた地や田を見めぐりの神ならば 其角

  みめぐりの社ぐるりと冬木風    春蘭

牛島弘福寺 

  海舟の胆を鍛えよ花の寺      春蘭

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