2010年4月20日火曜日

執中の法


能勢朝次『連句芸術の性格』
 
速度と付け方との調整 ー 執中の法 

(一)
付句の性格は前句に付くことにその根本がある。

心敬が「前句に心の通はざればただむなしき人の、いつくしくさうぞきて並び
居たるが如くなり。前句の取り寄りにこそ、いかばかりに浅はかなる言の葉も、
らうたきものには成り侍るなり」と言った言葉は、芭蕉もこれを門弟に示して、
付句は前句に十分に付くべきものであることを説いている。

この点では、貞門や談林においては、あるいは理知的に物付けで連ね、あるい
は連想の赴くままに、心付けを以って付けてゆくのであるから、付け方も容易
であり、付けたところの道筋も明らかに知り得られる。

しかるに蕉門では、前句の情を引きくることを嫌い、前句はいかなる人、いか
なる場と、そのわざや位を見定めたうえで、前句を突き放して付けるべきこと
が要求せられる。


これは談林のごとくべた付けとなることを嫌うものであり、二句の間を相当に
引離して、幽かなる余韻の薫り合う味わいを求め、そこに風雅の詩趣を醸し出
すことに芸術的意義を発見したためにほかならない。

しかし、かような付け方は、芭蕉や彼の高弟などのごとく、十分なる詩趣を創
造し、隠微なる風韻を感得するに足るだけの修行を積んだ者には、比較的容易
であるが、しからざる者に至っては容易ではないことも明らかである。

去来が「今の作者、付くる事を初心のやうにおぼえて、曾て付かざる句多し。
聞く人も又、聞き得ずと、人の言はん事を恥ぢて、付かざる句をとがめず。却
ってよく付きたる句を笑ふ輩多し」と、当時の作者の弊を指摘して、心の通い
なき句を作る者に警告をあたえているのは、這般の消息をよく伝えたものと思
う。

ここにおいて起こる問題は、かような隠微な気分象徴的な付句を付ける行き方
と、連句の付合における相当の速度を以って付け進めるべき要求と、この両者
の調和の問題である。沈思すれば速度は鈍り、速度をもっぱらとすれば付かな
い付句となる怖れがある。これをいかにさばき扱うべきか。こうした要求に従
って案出されたものに、支考の唱える「執中の法」がある。

これは、匂い・響き等の付け方の心法に比べると、第二義的な啓蒙的な方法で
あるが、実用的であり便利な方法であったために、芭蕉没後の蕉門では、相当
に重んぜられたものであった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

(二)
支考の『芭蕉翁二十五箇条』に

 付句は趣向をさだむべし。其趣向といふは、一字二字三字には過べからず。
 是を執中の法といふなり。物、その中を執りて前後を見る時は、百千の数
 ありても前後は近し。人は始めより案じて終りを尋ぬる故に、その中隔た
 りて必ず暗し。

とあり、蓼太は『附合小鑑』にこれを敷衍して、

 芭蕉翁二十五條の内、付句に執中の法あり。執中とは中をとるといふこと
 也。案じ方の肝要とす。源氏物語などの大部なる物も、須磨の左遷より筆
 をたてて、前後は枝葉なりとぞ。浄瑠璃の五段続きも、先づ三段目の面白
 き所を作して、さて初後は寄せもの也。

 付句も左の如く、前句に対して付くべき物は、一字二字三字には過ぎず、
 是を弁へざれば、句に向かって趣向を求むる事遅し。ここに至りて執中の
 法を用ふべし。

 其一字二字に、てにはを加へ、延べもし縮めもして、二句連綿すること也。

 付句は蓮の茎を切りはなして、中に糸を引くがごとく、情のかよひたるを
 上品とす。つらねうたといふも此の心にや。

と説き、例句として

      糊強き袴に秋を打うらみ
     鬢の白髪を今朝見付けたり
                    付けは老の一字

      手紙を持ちて人の名を問ふ
     本膳が出ればおのおのかしこまり
                    付けは振舞
     
      此の秋も門の板橋崩れけり
     赦免にもれて独り見る月
                    付けは左遷

のごときものを出している。これらによって見ると、その意味するところは
前句をよく見る時は、その中において、付句の眼目となすべきものは、こ
れを一文字か二文字の単語として求め得られる。その中心となるものを執る」
という意である。ただし、これは前句の中にそうした語があるというのでは
なくて、前句よりおのずからに発展して付句の中心となるべき語の意である。


例によって言えば「糊強き袴に秋を打うらみ 」という前句からは「老」という
一語が付句の中心として発展して来、「手紙を持ちて人の名を問ふ」という前
句からは「振舞」という一語が付句の中心と浮かんで来、「此の秋も門の板橋
崩れけり」 という前句からは「左遷」という一語が付句の中心となるべきもの
として現れてくるというのである。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

(三)
      糊強き袴に秋を打うらみ
     鬢の白髪を今朝見付けたり
                    付けは老の一字

たとえば、第一例の「糊強き」の例でいえば、袴の糊の強くて身になじまぬこ
とに、秋のうらさびしさを感じているような心持があるが、そうした気分をた
どってゆくと、その中になんとなく老人らしい感じが彷彿としてくる。その
「老」というものは結局前句の気分の一標微であるから、その標微たる「老」
を、付句においては具象的な姿で以って表現すればよい。

そこで、これを初老の人の、老を感じて驚き始めた姿において処理して「鬢の
白髪を今朝見付けたり」と句作りすると、此の前句と付句との間には、初老の
人のなんとなきうらさびしさの余情が通いあうことになる。かくすることによ
って、自然に蕉門の匂い付けや移り付けの行き方に合致した付句が得られると
いう結果となるのである。

      手紙を持ちて人の名を問ふ
     本膳が出ればおのおのかしこまり
                    付けは振舞

第二例「手紙を持ちて人の名を問ふ 」は、手紙を持ちながら、大勢の人々の集
まっている席に出て、その手紙の宛名主が、そこにおられるか、おられればどな
たであるか、などと尋ねている光景である。こうした場面は、現代では、多人数
の集まりの席へ、給仕が面会人の名刺を持ちながら、「誰某さんはいらっしゃい
ませんか」などと、呼び出しに来るのと似ている。

そこで、この前句から、何かの饗応に招かれて多勢の者が参会している場所のよ
うな気分を感じ取り、それを「振舞」という一語に集約し、これを付句の中心と
して、付句にはその振舞の席の様子を具体的な姿で描き出して「本膳が出ればお
のおのかしこまり」と付けたのである。

前句と付句は意味のうえからは独立したものであることは、蓮根を切断して左右
へ引き離したごときものでありながら、その蓮根の間には「振舞の席」という無
言の領域の糸が、かすかに両句の間に繋がっているのである。

      此の秋も門の板橋崩れけり
     赦免にもれて独り見る月
                    付けは左遷

第三例の「此の秋も門の板橋崩れけり」という句は、なんとなく荒廃の感じがい
っそうに強まり、この秋はあるいは新しく修理せられることもあろうかと、ひそ
かに期待していたような予想も、裏切られたような感じもある。「門の板橋」は、
板橋だけが朽ち崩れるというのでなくてその邸宅全体の荒廃を、板橋の腐朽とい
うところに焦点を合わせた表現であって、人の出入りもまったく絶えていること
を、強く感ぜしめる巧みさを持っている。

そうした前句の気分を感じ取って、その気分を「左遷」という一語に集約したの
が「執中」の中を執るという手法である。そこで付句においては、この左遷とい
うものを、具体的に描きくればよいので、「赦免にもれて独り見る月」と、左遷
された人物が、月を仰いで、愁嘆の溜息をついているような場面を展開したので
ある。この付合における「左遷」の一語は、二句を連ねる蓮根の糸であること、
前の「振舞」や「老」と同様である。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

(四)
付句におけるかような行き方は、その源をさぐると、支考の独創にかかるものと
は言い難くて、その源流は芭蕉の付句指導の中にも求め得られるかと思われるふ
しがある。それは『去来抄』に

      綾の寝巻にうつる日の影
     泣く泣くも小さき草鞋求めかね 去来

  此の前出て、座中暫く付けあぐみたり。先師曰はく、「よき上臈の旅なるべ
  し」やがて此の句を付く。

という有名な逸話が見えている。「綾の寝巻にうつる日の影」に対して、一座に
どうしてもよい付句が思い浮かばず、人々が困っていたさいに、芭蕉が「よき上
臈の旅であろう」という助言を与えた。その一語によって、去来はこの句を作っ
たというのである。

この芭蕉の一言は、支考的な立場で言えば、まさに「執中」に当たるものである。
もちろんこれを「執中の法」などど厳めしい名目をつけて、わが門の秘法呼ばわ
りをしたのは支考であろうが、そうした案じ方は、芭蕉が時々門弟に示したもの
ではあるまいかと思われる。

かように執中の法は、前句より発展し来たるべきもの、換言すれば、付句
と前句の間を連ねる蓮の糸に当たるものを、一語の中に把握する活動を言うの
であるが、その効果は、いかなるところにあるかといえば、付句を作るさいに、
その一語を、巧妙に具象化すればよいということになって、作句がはなはだ容
易である
ということである。

「老」とか「振舞」とか「左遷」とか、あるいは「上臈の旅」とか、そうしたも
のを題として、五七五または七七の句を作ることさえ行えば、「老」のいかなる
具象、「振舞」のいかなる具象を句作しても、めったに「前句に心の通わない句」
となる怖れはなくなるゆえである。

前句全体に付けるということと、一語に対して付けるということでは、作者とし
ての難易の度ははなはだしく異なる。その点に実用的な効果があらわれ、付句は
はなはだ容易に付き、したがって付合の時間的速度を快調ならしめる効果も上が
るのである。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

(五)
第二の実用的な効果は、打越と前句との世界からの離れぎわの見事さと、付句に
おける変化のおもしろさが、この執中の法によって、巧妙に実現できるというこ
とである。
たとえば「綾の寝巻」の句は『物の種』には

      世は成次第いも焼いて喰ふ   凡兆
     萩を子に薄を妻に家建てて    芭蕉
      綾の寝巻に匂ふ日の影     示石
     泣く泣くも小さき草鞋求めかね  去来

となっている。「萩を子に薄を妻に家建てて」と「綾の寝巻」との間には、富有
な風雅人が別荘でも作り、子の慰みに萩を、妻の慰みに薄を、それぞれに前栽に
植え、その妻などは、日闌けて起き出でて、綾の寝巻には日影が匂うている、と
いうような場面が想像せられてくる。そうした気分が一座の作者たちの心を流れ
ていると、ややもすれば、そうした情趣の糸がどこまでもまとわりついて、容易
にこれを転ずべき趣向が浮かんでこない。

そうしたさいに、前句だけを睨んで、それの中心を、上臈に置き、日闌けた風情
に、旅の疲れの朝寝を思い寄せて、「よき上臈の旅」と執中する時には、今度は
前句を突き放して、その旅の風情を具象的に描けばよく、修練を経た作者であれ
ば、即座に「泣く泣くも小さき草鞋求めかね」ている場面を展開させてくること
ができる。かくして、打越と前句との世界をきわめて巧妙に転じ、かつ変化の妙
趣を発揮して、一座の感興を増すことができるのである。

「手紙を持つて」の句は、『百囀』によれば、

      白いつつじに紅のとび入る   芭蕉
     陽炎の傘ほす側に燃えにけり   支考
      手紙を持つて人の名を問ふ   支考   
     本膳が出ればおのおのかしこまり 芭蕉

というふうな連句の進み方である。「陽炎の」句と、「手紙を持つて」の句の示
す世界は、飛脚が、宛名人の宅がどこであろうかと、春日和に門口などに出て傘
を乾している人に向かって、尋ねているような風光である。そうした付合の打越
・前句の世界を見事にはなれて、付句を作るためには、「手紙を持つて人の名を
問ふ」の境を、「振舞」という一語に執中してしまうことが有利であり、付句の
句作りにおいては、振舞の場面というものを、最も俳趣ゆたかにおもしろく作る
ことに全力を傾けてゆけばよいのである。



写真提供はフォト蔵さん

0 件のコメント: