2011年5月15日日曜日

本:芭蕉の方法 - 連句というコミュニケーション



■内容の強引な咀嚼
 前句と同意ー言葉は違っても内容的に同じことの言い換え、前句の説明はだめ。

 古来のありきたりの連想の寄合ー物付けは面白くない。

 前句の意味内容に直接付ける心付けも前句から離れず展開が面白くない。

 前句から離れ、前句と意味内容が直接関係ない事柄を詠んでいながら前句と二句一連で意味の通る(短歌を構成すること。三句の転じは当たり前だが、)二句の転じがベスト。前句の余情に付け匂わせたり、響かせたりする。これが正風の蕉風。

 思い成しー見込み、面影、取り成しー見立て替えもあり。

 前句の作者が予想するような付けではなく、思いも寄らない句を付け展開していくのが連歌の面白さだ。

■感想
 著者、宮脇真彦氏は東明雅氏の弟子。連句は短歌を連ねていくという自明のことをわかっているようで、わかっていないような印象も受けるのはなぜだ? 引用にある『救済・周阿・心敬連歌合』応仁二年、に興味が湧いた。古典籍の画像は早稲田大学図書館のデータベースにある。


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